佐倉哲エッセイ集

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無我の思想について


無我の思想
: Philosophy of Non-Self
98年11月1日

仏典でしばしば言及される「無我」あるいは「非我」と翻訳されるアナートマン(anatman)という語は、「我、自身」を意味するアートマン(atman)に、英語で言えば「un-」とか「non-」を意味するアン(an-)を付けたものです。それは明らかにアートマンを否定する言葉です。仏教はこの無我あるいは非我という言葉を駆使してなにを語ろうとしたのでしょうか。本論は仏教を特徴づけているこの無我の思想を理解しようとするひとつの試みです。


空の思想について


空の思想(序章 方法論)
Philosopy of Emptiness: Introduction
96年7月11日

わたしは空の思想に関する解説書をしばらくおいて、自分の目で確かめることにした。つまりナーガールジュナ自身の書に直接いどむことにした。


空の思想(一章 自性論)
Philosopy of Emptiness: (1) Self-Existence
96年10月9日

空の意味を知るためには「自性」とは何か、ということがどうしても明らかにされねばなりません。「すべてが空である」とは「すべてに自性が欠如している」ということだからです。したがって、空の理解とは自性の理解である、といっても過言ではありません。


空の思想(二章 縁起論)
Philosophy of Emptiness: (2) Relationality
98年1月21日

ナーガールジュナは、空の概念によって、単に自性を否定しただけでなく、「縁起」という、仏教のもう一つの重要な概念持ち出して、これを自性と対立させます。縁起とは「依って起こる」という意味ですが、ナーガールジュナは、ものは依存関係のなかで存在しているのであって、自性主義者が言うように、ものに内在する不変の本質のようなものによって自存しているのではないという主張を展開し、空とは縁起のことに他ならない、と語ります。


空の思想(三章 縁起と因果)
Philosophy of Emptiness: (3) Relationality and Causality
99年4月25日

縁起の意味は、ときに因果関係と混同されることがありますが、ナーガールジュナは、縁起における関係を、時間的な因果関係としてではなく、相依的関係としてとらえています。本章では、古来縁起が「順観と逆観」のペアで表現されてきたという事実と、ナーガールジュナが縁起を相依的関係としてとらえたという事実とのつながりを考察します。


和の思想と空の思想
Wa and Philosophy of Emptiness

無常の思想であり、縁起の思想であり、無我の思想である仏教が日本に深く根を下ろし、絶対神の思想であり、永遠の魂の思想であり、独善的排他主義の思想であるキリスト教が日本に根を下ろすことが出来なかったのは、日本人の根本的人間観が和の思想のそれであったからである。人間は皆凡夫であり、それゆえ誰も自己の正義や価値観を他人に押し付ける権利をもたない、また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、むしろ、皆和して衆議によって得られる理によって共同体を運営せよ、というあの十七条憲法の和の思想が日本人の根本的人間観・社会観であったからである。


その他


ブッダと大川隆法
Buddha and Okawa Ryuho
98年11月30日更新

「幸福の科学」の教祖大川隆法さんは、「我はここに再誕す」と、ブッダの生まれ変わりであることを宣言されています。そこで、わたしはブッダの言葉と大川隆法さんの言葉を比較してみました。大川隆法さんはほんとうに現代のブッダなのでしょうか。それとも・・・。

判断は読者におまかせします。


仏教における「魂」と「神」
"Soul" and "Gods" in Buddhism
97年10月18日更新

果たして仏教は、人間には永遠に生き続ける「魂」のようなものがあると教えたのでしょうか。仏教にとって「神」とは何なのでしょうか。仏教は神への信仰を説いたのでしょうか。本シリーズは、そのようなことなどについての、Nさんのお便りとわたしの応答です。Nさんは、仏教は「唯物論ではない」と主張され、永遠に存続する魂や神々の存在を仏教は説いたと主張されます。わたしは、仏教の「無我」の思想はそういう「永遠に存続する魂」を否定するものであり、仏教は人間の認識のとどかない形而上学的領域(神々の世界や、死後の世界など)に関する断定を知識として認めず、有神論を批判したと主張します。


ある仏教徒の「死後の世界」観
A Buddhist's View of Life After Death
97年12月13日

わたしは、すでに、仏教の経典旧約聖書新約聖書における死後の世界に関する記述を考察してきましたが、ここに、あるひとりの仏教徒の「死後の世界」観を紹介します。それは、わたし自身の「死後の世界」観に大きな衝撃を与えたものです。


わたしのパーリ語独習ノート
Study Notes on Pali
1998年9月4日

パーリ語は「原始仏典」と呼ばれているもっとも古い仏教教典が書かれている言語です。これからそのパーリ語にのんびりチャレンジします。予定も計画もなし。やりたいときにやりたいだけやり、やりたくなければいつまでもやらない、いいかげんな「チャレンジ」です。


「わたしの『法華経』概論」
2001年10月9日

聖徳太子や最澄の昔から、日本では『法華経』はたいへんポピュラーな経典ですから、法華経に関する書物は無数にあり、手軽に手に入ります。ここでは、わたしの個人的な解釈を述べてみたいと思います。



リンク


大本山ヒマラヤ寺(小林仁さん)

あたりまえのことを方便とする般若経(曽我逸郎さん)

釈迦の悟り(Siri Ved Singh さん)

日本テーラワーダ仏教協会

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