今仏教の事を調べてるんですが、法華経の教えってどんなんなんでしょうか? 簡単にでいいので、もしよければ教えてください。

聖徳太子や最澄の昔から、日本では『法華経』はたいへんポピュラーな経典ですから、法華経に関する書物は無数にあり、手軽に手に入ります。ここでは、わたしの個人的な解釈を述べてみたいと思います。


1.大乗仏典のなかの代表的な仏典の一つ

ブッダが死んでから三〜四百年後、西暦一世紀前後に伝統的仏教に対抗する宗教改革運動が仏教内で起こります。大乗仏教運動です。この宗教改革運動の興味深い特徴の一つは、自分たちの主張をするのに、新しい経典を創作したところです。経典というのは、ブッダの弟子たちが、ブッダの教えを弟子から弟子へと伝承してきたものを書き残したものです。ところが、大乗仏教運動の改革者たちは、それらとは別の経典を新しく創作して、あたかもブッダ自身が教えたものであるかのように、自分たちの思想を主張したのです。法華経はその大乗仏典のなかの一つです。

一番最初にあらわれた初期の大乗仏典が般若経です。その後、維摩経や法華経や浄土経などの経典があらわれます。わたしたちの知っている法華経(クマラジーヴァ訳『妙法蓮華経』)の原典はおそらく西暦三世紀の中ごろまでに、さまざまな増幅の歴史を通じて、成立したものです。

つまり、法華経とは、ブッダの死後およそ四、五百年後、大乗仏教運動の宗教改革者たちによって、自分たちの思想を主張するのに、あたかもそれがブッダ自身の教えであるかのごとく、まったく新しく創作された経典(大乗経典)の一つです。言ってみれば、「偽の経典」とも言えるわけで、それゆえ、「大乗非仏説」(大乗仏教はブッダの教えではない)と主張する人もいます。


2.大乗仏教運動の改革者たちの主張とその理想像

大乗経典に書かれている事柄から、大乗仏教運動の宗教改革者たちが、伝統的仏教の何に反逆したかを調べてみると、伝統的仏教の僧たちが自らの修業と悟りを究極的な目的にしていて、大衆の救いにあまり関心を持たなかったところにあることが知られます。この経典の著者たちは、自分自身の救いを後回しにしてまでも大衆の救いの為に生きる、そういう仏教徒としての期待される理想像を、新しく創作した経典に登場させるのです。その理想像が「ボディサットヴァ(菩薩)」です。

ボディサットヴァ(菩薩)とは、もともと、悟ってブッダになる前の求道者のことを指しますが、新しく創作された大乗経典の中では、大衆の救いの為に生きる理想的ヒーローとして登場するのです。観音菩薩とか弥勒菩薩とか、何百何千の菩薩が大乗教典のなかに登場しますが、それらはすべて創作上の架空のヒーローです。大乗経典とは、つまり、真の求道者とはいかにあるべきかを示す理想像として架空の主人公たる菩薩たちが活躍する一連の創作物語なのです。

例えば、初期の大乗経典の代表の一つ『金剛般若経』では、菩薩とはいかなるものであるか、次のように述べています。

スプーティは言った。「ところで世尊よ、良家の男子にせよ、女子にせよ、すでに菩薩の道に向かって歩みを進めたものは、どのようにあるべきであり、どのように実践すべきであり、どのように心を訓練すべきでありましょうか」・・・世尊はつぎのように話された。「さて、スプーティよ、菩薩の道をこころざしたものは、ここで次のような考えを起こさなければならない。すなわち、スプーティよ、『生けるものの世界において、およそ衆生という名の下に包摂される生きとし生けるもの・・・は何ものにせよ、彼らすべてを、私は、煩悩の余燼さえない涅槃の世界に引き入れなければならない。しかもなお、たとえそのように無数の衆生を涅槃に導いたとしても、実はいかなる衆生も涅槃にはいったのではない』と。それは何故かというと、スプーティよ、もしも菩薩に衆生という観念が生じるならば、彼を菩薩というべきではない。それはまたなぜか。スプーティよ、もし彼に自我という観念が生じるなら・・・彼を菩薩と呼ぶべきではないからである。」

(『金剛般若経』、2〜3、長尾雅人訳)

ここでは、菩薩(真の求道者)とは、生きとし生けるものすべてを救うために生きている者だけれど、自分が誰か一人でも救っているなどという観念を一切持たぬ者です。そういう菩薩の姿を修行者の理想として表現することによって、修行者が自らの悟りに専念する伝統的仏教の理想像(阿羅漢)を批判し、仏教を改革しようとするわけです。

『維摩経』という大乗経典では、ヴィマラキールティ(維摩)という名前の在家信者(菩薩でもある)が病気なので、ブッダがその弟子達に見舞いに行くように勧めるのですが、誰も見舞いに行きたがらない。それで、最後に、マンジュシリー(文殊)という名前の菩薩が見舞いに行く、という物語です。マンジュシリーに、病気の具合はどうかとたずねられ、ヴィマラキールティは次のように答えます。

マンジュシリーよ、無知があり、存在への執着があるかぎり、わたくしのこの病もそれだけ続きます。あらゆる衆生に病があるかぎり、それだけわたくしの病も続きます。もしすべての人が病を離れたなら、そのとき、わたくしの病もしずまるでしょう。・・・もしあらゆる衆生に病気がなくなったら、そのときは菩薩にも病気はなくなるでしょう。

(『維摩経』4章「病気の慰問」、長尾雅人訳)

ここでは、菩薩(真の求道者)を「人々が苦しんでいるという理由だけで苦しんでいる病人」として表現することによって、大乗の新しい修行者の理想像を語っています。

法華経でも、同様に、自らの悟りではなく、人々の救いが注目の対象になります。

汝らはこの世において生と死の回転の苦悩から解放されているが、なおいま「さとり」の境地に達しない者のように、仏の乗物を望み欲すべきである。・・・

愚かな理性の輩が無知で、この世における苦悩の根本を視ないとき、「激しい欲望の生ずることが苦悩の起源である」と、余はかれらに進むべきを示す。激しい欲望を滅すために、汝らは常に執着してはならぬ。これこそ、余の説く第三の真理「滅諦」である。それによって、人は間違いなく解放されるのだ。この道を実行してこそ、解放があるからである。シャーリプトラよ、かれらは何から解放されるのか。迷妄から解放されるのだ。しかし、いずれにせよ、かれらは完全に解放されたのではない。「かれらは『さとり』の境地に達していない」と、この世の指導者は言う。余は何故にその人の解放を語らないのか。彼が、この上なく勝れた「さとり」に到達していないからである。

(「譬喩品」、坂本幸男・岩本裕訳)

伝統的な仏教にしたがえば、ブッダの教えはさとりに達することこそ最終的な目的なのです。ところが、法華経はこのように、さとりに達しても「なおいま『さとり』の境地に達しない者のように」さらに「仏の乗物」を望み欲すべきである、というのです。

伝統的な仏教にしたがえば、ブッダの教えは、苦の原因を知り尽くしてそれに執着しないことから、苦からの解放を得る道です。それは苦を作りだしていた原因に対する迷妄からの解放です。それがブッダのさとりなのです。ところが、法華経はいま、それではまだ「この上なく勝れた」さとりに達しているとはいえないというのです。

では、さとりを超えた「この上なく勝れた」さとり、あるいはそこに達するための「仏の乗物」とは一体何なのでしょうか。

教えの王者として、人を安楽ならしめるために、この世に生まれるのが、余の望みなのだ。これが、シャーリプトラよ、余が最後に今日説く教えの根本なのだ。神々と世間の人々の幸福のために、その教えを四方八方に説き示せ。(同上)

巧みに幾千万という多くの人間を苦しみから解放させる人が、実に高い木といわれる。・・・この教えの神髄は常に世間の幸福のためであり、この教えによって世間のすべての者を満足させるのだ。(同上第五章「薬草」)

聡明な人は常に「余は仏になりたい。これらの人も同じである。このように、すべての人々の安楽の基となる正しい教えを、この世における幸福のためにわたしは説こう」と考えよ。(同上第十三章「安楽な生活」)

すなわち、法華経においても、他の大乗経典と同じように、理想の修行者は、苦から解放されてひとり悟りと平安の境地にとどまっている者ではなく、立ち上がって、「神々と世間の人々の幸福のために」、「多くの人間を苦しみから解放させる」ため、「すべての人々の安楽の基となる」ブッダの教えを説き示す者です。これが、たんなる「さとり」を超えた「この上なく勝れた」さとりである、というわけです。

このように、大乗仏教の宗教改革者たちは、自分みずからの救い求める者ではなく、生きとし生けるものの救いを求める者を、求道者の理想像(菩薩)としたのです。そして、その新しい教えを「大乗」、すなわち、たくさんの人々を救うのに大きく勝れた乗物(菩薩乗)、と呼んだのです。


3.ブッダの教えと大衆の迷信

大衆というものは、どこの世界でもいつの時代でも、迷信を信じるものです。それは、仏教徒も同じことです。ブッダが死んだあと、弟子達はその教えを守り修業に専念することに心を向けたことでしょう。しかし、一般大衆は、ブッダの教えを学んだり修業を実践したりするより、むしろ、ブッダの骨を収める仏舎利塔にお参りすることのほうを選んだことでしょう。

ブッダの教えはきわめて理路整然としていて、それは、苦の原因を追及し、それを取り除くことによって苦からの解放を得るというものであり、そのため、ブッダは祈祷やまじないなどを否定しました。神々への信仰は、これを捨てよと教えました。

ところが、大衆の救いに大きな関心を持つ大乗仏教運動の改革者たちは、大衆の迷信を否定しないで、それもブッダの教えであるかのごとく、積極的に受容したのです。例えば、最初期の大乗経典である『八千頌般若経』は次のように述べています。

[ブッダはたずねた。]「カウシカよ、良家の男子にせよ女子にせよ、供養されるべき、完全に悟った如来が完全に涅槃されたときに、その供養のために七宝よりでき、如来の遺骨を収めたストゥーパを千万もつくるとしよう。つくり終わって、それを一生のあいだ、神々しい花、・・・神々しい旗を供え、また周辺にも神々しい燈明や花環を供え、種々の神々しい供養の仕方によって恭敬し・・・祈願するとしよう。カウシカよ、おまえはどう思うか。いったい、その良家の男子や女子は、それによって多くの福徳を得るであろうか。」

カウシカはお答えした。「世尊よ、たくさんに。善く逝ける人よ、たくさんに。」

(『八千頌般若経』第三章「知恵の完成とストゥーパ」、中央公論社、梶山雄一訳)

もちろん、経は、「知恵の完成(般若)の意味を解し、心で吟味し、すぐれた知識に従ってそれに熟慮を加える」方が、仏舎利塔を祀るより、はるかにたくさんの福徳を得る、と付け加えるのですが、決して、仏舎利塔信仰のような大衆迷信を否定したのではありません。むしろ、「それもいいけど」というような言い方で、大衆信仰を抱え込み、その上で、「それよりも、もっといいものがあるよ」というふうに、巧みに、正しい仏教の道に導く方法を取っているわけです。

これは、大乗仏教に特徴的な性質で、伝統的仏教にはほとんど見かけないものです。しかも、後代の大乗経典になるほど、この大衆の迷信を受容する傾向は大きくなります。ストゥーパ信仰だけに限らず、やがて、仏像をつくってそれを拝むことが受容され、最後期の大乗教典(密教)では、ブッダが明白に否定したさまざまな迷信、呪文(真言)や「火をたく護摩の術」等々、さえも受容されることになります。法華経も例外ではありません。

入滅した仏たちの遺骨に供え物を捧げ、宝玉づくりの幾千の塔や、金・銀および水晶の塔を建立した人々、緑玉の塔を、猫目石・真珠づくりの塔を、また極上の瑠璃ならびに青玉の塔を誰かが建立するとき、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・子供たちが遊戯の際に、そこここに、小石づくりの塚を作り、仏たちのために供養塔とするとき、これらの人々は、すべて「さとり」に到達するであろう。・・・誰かが七宝づくりの、あるいは銅または真鍮で、仏たちの像を作らせるとき、かれらはすべて「さとり」に到着するであろう。・・・壁に、四肢が完全で幾百の福相のある像を、みずから描く人々も、あるいは描かせる人々も、かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・また、如来たちの遺骨に、あるいは塔廟に、あるいは土偶の像に、また壁あるいは粘土づくりの塔に像を描き、香と華とを手向けた人々も・・・かれらはすべて「さとり」に到達するであろう。・・・また仏たちに供養するために、歌を甘く、また美しく歌っても、仏たちの遺骨にほんのわずかのことをしたり、ただ一種の楽器を奏でさせただけでも・・・かれらはすべて、この世で仏となるであろう。・・・塔に合掌するだけでも、それが完全な形であれ、ほんのちょっと片手を挙げただけにせよ、また、ほんの一瞬頭を下げただけでも、また、ただ一度身体を屈めただけでも、遺骨の安置された場所で、そのとき「仏を礼拝し奉る」と一言いえば、取り乱した心で一言いっても、かれらはすべて、この最勝の「さとり」を得よう。(同上、第二章「巧妙な手段」)
といった具合です。

このように、大衆の救いに特別の関心を持つ大乗仏教運動の改革者たちは、ブッダが否定したさまざまな迷信(大衆信仰)を否定するどころか、むしろそれを積極的に受け入れ、それによって大衆が救われ得ることを主張したのです。そして、それを正当化するために、新しい経典(大乗経典)をつくったわけです。


4.巧みなてだて(方便)

大乗経典は宗教文学です。文学は一種のウソです。しかし、文学は人を騙すためのウソではなく、それを通じて作者のメッセージを伝える創作技術(物語)のことです。大乗経典は、ブッダが教えたという伝統的仏教経典の形式を利用して、空想のブッダや菩薩を登場させて、宗教改革者の思想を伝えた創作物語です。

しかし、大乗経典は、たとえば他の宗教文学にあるような、仏教思想を文学的に表現し直しただけの、単なる宗教文学でもありません。明らかに、そこには、ブッダの思想を継承しつつ、ブッダが語らなかったことを語ろうとしている新仏教のための本物の経典としても書かれています。

それでは、大乗仏教の改革者たちは、どのような根拠で、ブッダの教えでないものをブッダの教えとして新しい経典を次々に創作することができたのでしょうか。

その答えの一つが、「巧みなてだて(ウパーヤ、方便)」という大乗仏教を特徴づける思想にあります。それは、大衆を救わんとする諸仏や菩薩に備わっているとされる救済のための巧みな技術のことです。

例えば、ある人に、古くて倒れかけた大きな家があり、その土台は崩れ落ちて、柱の根元が腐っていたとせよ。・・・その家には五百人以上の人が住んでいた。そして、多くの小部屋があって、汚物が満ちあふれ、見るも汚らわしかった。・・・その家のそこここに、非常な劇毒をもつおそろしき毒蛇がおり、あらゆる種類のサソリやネズミが棲み、有害な生物の棲処であった。・・・そこには、人間の屍を食らうおそろしい猛獣が棲み、それらの立ち去るのを待ち焦がれて、数多くの犬や狼が棲む。・・・かの家は大きく高く、しかもぐらついていて、このように恐ろしく、古びて毀れ、荒涼としていた。

・・・そして、この家がある人の財産であるとせよ。かの人がその家の外にいたとせよ。そして、その家が突然に燃え上がったとせよ。幾千の火焔があたり一面に燃えひろがり、家の四方が火につつまれた。・・・この家の持ち主である、かの人は屋外に立って、それを眺めていた。彼は、自分の子供たちが家の中で玩具に心を奪われて遊んでいて、何も知らない愚か者のように、遊びに夢中になって戯れていることを聴く。

自分の子どもたちの誰も焼け死なないようにと、彼は聴くと直ぐに子どもたちを救おうとしてその家に入った。彼は子どもらに家の欠点を告げる、『おい坊やたち、物凄い災難だよ。ここにはいろいろなものが棲み、またこの火だ。災難が続いて起こるし、激しいよ。毒蛇や、残酷な心のヤクシャやクンバーンダやプレータどもが数多く棲息し、猛獣どもも、犬や狼の群れも、また鷲などが食物を探し求めている。このような輩が多く棲んでいて、火事が起こらなくても、最高の怖ろしさなんだ。このように、どれもこれも災難であるのに、火がまた四方に燃え上がったのだ。』

このように諭されたにかかわらず、子どもらは、遊びに夢中になり、父の言葉を考えずに、また気にもとめない。かの人はそのとき考えよう、『子どものことを思うと、わたしは心配でたまらない。子どもを持ったとて、その子を失えば何になろう。いま、子どもたちを焼き殺してはならない』と。彼はそのとき手段を考える、『子どもたちは玩具に夢中になっている。ここには遊ぶ道具は何もない。しかし、子どもたちはこのように愚かである。』

彼は子どもたちに言った、『坊やたち、お聴き。わたしは、いろんな乗物をもっているんだよ。鹿や山羊や立派な牛が繋がれていて、高くて大きくて、綺麗に飾り立ててあるんだよ。それらの車は、家の外にあるんだ。さあ、走って出てきて、それで遊びなさい。・・・さあ、一緒に出てきて、それで好きなだけ、お遊び。』

子どもたちはこのような乗物のことを聴き、元気を出して急いで走り出てきた。みんなが戸外に出た途端に、子どもらは苦難を免れることができた。

(同上、第三章「たとえ」)

危険な所にいるのに、おもちゃに夢中な子どもたちは、「はやく逃げなければ危険である」と真実の言葉を伝えられても聴こうともしない。菩薩はそこで、巧みな手だて(方便)を施します。「もっと面白いものが外にあるから、それで遊びなさい。」これを聴いて、子どもたちは外にでて助かります。
もし、シャーリプトラよ、余(ブッダ)が人々に「さとり」への欲望を起こせというならば、すべての無知な輩は混乱し、必ずや余(ブッダ)の勝れた言葉を理解しえないであろう。・・・[だから]余(ブッダ)は人間どもの信心の意向と心の動きを知って、多くの種類の教えを示そう。種々の手段を用いて、かれらの心を奮い立たせよう。これが余(ブッダ)の独自の智慧の力である。(同上、第二章「巧妙な手段」)
伝統的仏教のようにブッダの言葉を直接ぶつけるだけでは、救いからはみ出る人々が出てきます。大乗仏教運動の改革者たちは、そのはみ出した人々に注意を向けることこそ真の求道者のなすべきことであると確信したに違いありません。

しかも、かれらは実に革命的なことを考えだしたのです。すなわち、大衆が簡単に受け入れる仏舎利塔信仰や仏像信仰や経典信仰などの迷信を、単に迷信であるとして捨てたりせずに、それらを、かれらのような者たちでさえも仏教の道に入ることができるようにと、秘かに企てられたブッダの巧みな手だて(方便)であると解釈したのです。


5.大乗はブッダの教えを否定する?

悲しみや苦しみからの正しい解放は、その原因や条件を知り、それらを取り除くことによってのみ、達成される、と考えたブッダは、人間の悲しみや苦しみからの解放の手段としての迷信(神々への祈祷や祭祀や呪文等々)は、これを「捨てよ」と説いていたのです。それが伝統的仏教(原始仏典)が伝え残したブッダの教えでした。

ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。

(スッタニパータ 1146、中村元訳)

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。

(相応部経典42.6 増谷文雄訳)

たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。

(同上)

ブンナカさんがたずねた。「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのか? 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

ブンナカさんが言った。「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。「ブンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利益を得ることによって、欲望を達成しようと望んでいるのである。供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪ってやまない。かれらは生と老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

(スッタ・ニパータ1043-1046、中村元訳)

したがって、法華経などの大乗の諸経典が、ブッダの遺骨に供え物を捧げるだけで(仏舎利塔信仰)、仏像を作ったりそれに礼拝するだけで(仏像信仰)、あるいは経典の一節や題目を唱えるだけで(経典信仰)、最高のさとりに至ることができるのだなどという迷信を大々的に取り入れたということは、かれらが、ブッダの本来の教えを否定することになってしまいます。

そこで、大乗の諸経典は、ブッダの教えを否定するかれらの新しい思想こそが実は「ブッダのより勝れた教え(大乗)であり、伝統的仏教は、ブッダの教えを理解できない大衆を救う心も技術も持たない劣った人々のための仮の、方便としての教え(小乗)であった」、という巧みな手だて(方便)を考えついたわけです。これが、大乗仏教がブッダの教えを否定してもブッダの教えである、と主張するためにかれらが考え出した正当化の論理です。


6.なぜ、ブッダの教えでないものがブッダの道へ導くものとなるのか

「執着から離れよ」というブッダの教えは、欲に捕らわれている者にとっては、受容しにくいものかもしれません。しかし、仏舎利塔や仏像に礼拝し、呪文や経典の名前を唱えれば、その功徳は大きい、もっとお金がもうかる、という話なら、かれらも飛びつくかもしれません。外に出ればもっと楽しい遊びができる、と言われて火中の家から飛び出した子どものように。

病気を直すためには、苦い薬を飲まなければならないかもしれないし、痛い手術もしなければならないかもしれないし、食べたいものも我慢しなければならないかもしれません。誰にでもできるものではありません。しかし、仏舎利塔や仏像に礼拝し、呪文や経典の名前を唱えれば病気が治るのなら、誰にでもできるでしょう。

しかし、いかに、大衆の救いのためとは言え、そんな大衆迎合的なウソをつくことが仏教徒にゆるされるのでしょうか。「ウソではない」というのが大乗仏教運動の改革者の確信でした。

余(ブッダ)が三乗の乗物(それぞれの人に必要な方便としての様々な教え)を約束するのは、余(ブッダ)の言うところの巧みな手段である。しかし、乗物はひとつ、方法もひとつである。そして、ほとけの教えもひとつである。(法華経、第二章、「巧妙な手段」)
それもこれも、みんな、結局、さとりに至る(仏に至る)道であるから、ひとつの仏の乗物(一乗)である、というのです。

では、いかにして、本来のブッダの教えでないものが、ブッダへの道に入ることになるのでしょうか。

例えば、荒涼として住む人もなく、休むところもなければ避難所もない、怖ろしい森があるとしよう。・・・そして、この森に、幾千という人々が到着したとしよう。しかも、この荒れ果てた森は五百ヨージャナの広さにまたがっているとしよう。通過しがたく恐怖の充ちあふれた、その森で、人々を案内する人は金持ちで思慮深く、賢明で決断力があり、経験豊かで、自信のある人としよう。

幾千万という人々は疲れはてて、そのとき、かの案内者に語った。「われわれは疲れはてた。君、もう駄目だ。われわれは引き返したい」と。案内が巧みで賢明な案内人は、そのとき、手段をいろいろと考えよう。「なんと愚かなことか。引き返せば、これらの愚者はみな自分から宝玉をみすみす捨てるものだ。わたしは神通力によって、いま、幾千万億の建物が立ちならび、僧院や遊園で飾られた大都城を造ることにしよう。・・・」と。幻の都城を造って、案内人がこのように言うとしよう。「怖れてはならぬ。悦びなさい。諸君らは素晴らしい都城に着いたのだ。・・・元気を出しなさい。安心しなさい。森を通り抜けてしまったのだ」と。人々を安心させるために、彼はこの言葉を語るのだ。まこと、皆は元気を回復した。

皆が疲労から回復した様子を見て、彼は人々を集めて再び語った。「こちらへ来て、わたしの言うことを聴きなさい。この都城は、わたしが神通力で造ったのだ。おまえたちが疲労困憊しているのを見て、引き返してはならないと思い、この巧妙な手段を用いたのだ。元気を出して、ラトナ=ドゥヴィーパへ行こうじゃないか。」このように、僧たちよ、余(ブッダ)は幾千万の人々の案内人であり指導者である。

(法華経、第七章、「前世の因縁」)

つまり、本来のブッダの教えでなくても、それを受け入れることが、本来のブッダの教えに導かれる何らかの縁となるならば、それは、究極的には、ブッダへの道となるのだから、それもブッダの教えである、というわけです。

仏舎利塔や仏像を造ったり、それらを礼拝することそれ自体は、もちろん、ブッダが教えたように、人をさとりに至らせるものではありません。しかし、仏舎利信仰や仏像礼拝は、ブッダへの尊敬心を育み、やがて、だれかの心の中に、「ブッダとはだれ?」「ブッダの教えとは?」という疑問を生む因縁になることでしょう。同じように、法華経の経典の名前(『妙法蓮華経』)やその他の呪文をとなえることそれ自体は、ブッダが教えたように、人をさとりに至らせるものではありません。こんなものは迷信であって、本来のブッダの教えとは何の関係もありません。しかし、経典の名前を唱える行為は、経典やブッダに対する尊敬心を育み、やがて、だれかの心の中に、「その経典には何が書いてあるの?」「呪文の意味は何?」というような疑問を生む因縁になることでしょう。

心の中に、「ブッダとは何か」、「ブッダは何を教えたのか」、等々の疑問が生まれるとき、人は、本来のブッダの悟りへの道へとすでに一歩踏み出していると言えるでしょう。菩薩の巧みな手だては、こうして、ブッダの本来の教えを受け入れることのできない「劣った人々」をも、ブッダの道へと誘い出してしまうわけです。そこに「大きくてすぐれた乗物」を主張する面目があります。


7.縁起の法と一乗思想と永遠のブッダ

ブッダの教えでないもの、ブッダが否定した事柄さえ、ブッダの道へと導きうるという主張を可能としているものは、もちろん、世界の諸現象が縁起(依存して起こる)関係にあるからです。迷信は迷信、ブッダの教えはブッダの教え、とそれぞれが無関係に自立自存していれば、一方から他方への移行は不可能です。つまり、世界が依存関係や因果関係において存在しているのでなければ、仏舎利信仰やら仏像礼拝やら経典信仰等々の迷信が、ブッダの本来の教えへの因縁とはなり得ません。種々の教えは、実のところ、ブッダのひとつの教えである、という法華経の一乗思想は、まさに、この仏教の中心思想である縁起の思想(空の思想、無我の思想)によって裏付けられています。

一切のものは同じで、本体がなく、本質的に相違のないことを知り、またこれらのものを望まず、また、そのいずれをも決して区別して見ない者は、偉大な理智の持ち主であって、教えの本体を残らず見て、三種の乗物は決してなく、この世には唯ひとつの乗物があると知る。一切のものは同じで、すべては等しく、常に平等に等しい。このように知って、不滅で吉祥な「さとり」の境地を正しく知るのだ。(第五章、「薬草」)
ところで、このことは、人々がブッダの道に導かれる因縁は、歴史的ブッダの存在よりも、はるか以前にさかのぼる、ということになります。このことが、法華経では、「久遠のブッダの威光」といったふうに表現されています。
[仏の実子たちは]多くの世界において、教えを説く。このような所行は、[久遠の]仏の威光による。(序品)
縁起の法(久遠のブッダ)のおかげ(威光、神通力、因縁、根拠)で、ブッダ自身もその他の人々もさとりにいたることができる、というわけです。法華経の物語における真の主人公は、この「久遠のブッダ」として擬人化された縁起の法そのものだと言えるでしょう。