このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
99年12月13日
マルコ2章26節で、大抵の翻訳は「アビヤタル(アビアタル)が大祭司であ ったとき」にダビデが神の家に入って供えのパンを食べたとイエスが言われた、 としています。その出来事が起きたのは、アビヤタルの父アヒメルクが大祭司だ ったときですから、そのような訳し方は歴史的に見て間違っていることになりま す。注目に値することですが、ベザ写本、フレーア写本、古ラテン語訳、シリア 語シナイ写本といった初期の写本では上記の句が省かれています。
また、その句 はこれに対応する箇所であるマタイ12章4節とルカ6章4節にはありません。 しかし、それと似たギリシャ語の構文がマルコ12章26節とルカ20章37節 に出ており、「改訂標準訳」、「完訳聖書―アメリカ訳」、「エルサレム聖書」 はそれらの箇所で、「…関する箇所で」という句を用いています。ですから、 「新世界訳」がマルコ2章26節の一部を「祭司長アビヤタルに関する記述の中 で、彼が神の家に入って」と訳しているのは当を得た訳し方であると思われま す。アビヤタルの最初のめざましい行為に関する記述は、ダビデが神の家に入っ て供えのパンを食べたことに関する記述のすぐ後から始まっており、またアビヤ タルは確かに後日ダビデの治世中にイスラエルの大祭司になりましたから、この 訳し方はこの記録の歴史的な正確さを支持しています。
00年2月5日
このK.M.さんのご意見に関しては狸さんのコメントがあります。
おたより、ありがとうございました。