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00年9月2日
ところが、マルコの記述によると、鶏はペテロがイエスを知らないと一度言ったあと、すぐ鳴いてしまうのです。
マルコによる福音書 14:66-72aペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」しかし、(1)ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。(2)ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」すると、(3)ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなた方の言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。
このために、マタイやルカやヨハネの福音書のイエスの予言に関する記述が正しく、かつ、マルコのペテロの否定と鶏の鳴き声に関する記述が正しいとすると、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言ってしまったイエスは偽予言者となってしまいます。イエスを偽予言者としないためには、これらの二つの記述のうちどちがかが間違っていることを認めねばなりません。
(佐倉、「ペテロの離反とイエスの予言」)
「はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」。 マタイによる福音書 26:34
確かにマルコの福音書は2回鶏が泣きます。他の福音書ではイエスさまが、鶏が鳴く前にペテロが3回イエス様を否認するといいました。ですから、福音書全体的にペテロが3回否認するというイエス様の予言は正しいです。ただ、マルコの福音書には鶏が2回鳴くので、貴方はイエス様の予言ははずれたとしかし、マルコの福音書をもうちょっと読んでみるとこう書いてあります。鶏が二度鳴く前にペテロが3回否認すると。だから。マルコの福音書はペテロの否認についてもっと詳しく書いているだけです。そうするとなぜ、マルコが他の福音書著者に比べてペテロについて詳しいかという疑問が生じます。ペテロ書を読んで見るとペテロはマルコの自分の子としていう部分が出ます。それほど、ペテロとマルコは親しい、親子の関係であったのです。ですから、ペテロについてより詳しく知っていたのではないかと私は思います。
以上です。おかげさまで私も聖書を読むきっかけが増えそうです。神様に感謝します。それでは、また、
00年9月29日
マルコの福音書をもうちょっと読んでみるとこう書いてあります。鶏が二度鳴く前にペテロが3回否認すると。だから。マルコの福音書はペテロの否認についてもっと詳しく書いているだけです。
何と何が矛盾しているかについてのわたしの指摘を理解していただいていないようです。マルコは単に「もっと詳しく書いているだけ」ではありません。矛盾は、(ア)他の福音書のイエスの予言(「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」)と、(イ)ペテロが一度否認するだけで鶏が鳴いてしまうマルコの記述との間にあるのです。だから、(ア)と(イ)をつなげると、鶏が鳴くまでに三度否認するだろうと言ったイエスの予言は外れたことになるのです。(「作者よりK.M.さんへ 99年11月27日」)を参照してください。
「作者よりルイス・サイファーさんへ 98年12月20日」にも関連コメントがあります。
おたより、ありがとうございました。