はじめまして。UKと申します。 突然の電子メールお許しください。

貴殿のサイトの「聖書の間違い」を見てメールしています。わたしは貴殿と議論をするつもりはありません。ただ、聖書についてわたしのような考えを持っている者もいることを知っていただけたらと思い、メールさせていただきました。(もうご存知だとはおもいますが)

聖書は聖書自身が言っているように、すべて神の霊感によって人が書いたのです。つまり、聖書は「神が書いた」のです。したがって結論から言えば、聖書原本は完全です。

わたしは聖書の多くの部分を理解していません。しかし、聖書を信じています。これは主の一方的なあわれみにほかなりません。「この全知宇宙はイエス・キリストにより、イエス・キリストのために造られた」といわれてもピンときません。わかりません。でもそれは事実なのです。

聖書は勉強して理解するための書物ではありません。主を信じるものが日々の糧としていただくものです。一般に聖書に矛盾があるとされていることはすべて、無知からくる誤解です。神が書いたものを人間のちっぽけな頭で完全に理解することは不可能です。下記のサイトに聖書の矛盾について書かれてありますので、ぜひお読みになってください。

貴殿が聖書の真理を知るものとなることを心から祈ります。

http://www2.biglobe.ne.jp/‾remnant/mujun.htm

1.キリスト教原理主義

聖書についてわたしのような考えを持っている者もいることを知っていただけたらと思い、メールさせていただきました。(もうご存知だとはおもいますが)
このおたよりに述べられているような、UKさんの考え方は、一般には、「キリスト教原理主義」(ファンダメンタリズム)と言われていているものです。わたしはもちろん、ずっと昔から、キリスト教原理主義の主張はよく知っています。わたしは米国に在住しており、長い間クリスチャンだったからです。


2.日本のキリスト教原理主義

一般に聖書に矛盾があるとされていることはすべて、無知からくる誤解です。・・・下記のサイトに聖書の矛盾について書かれてありますので、ぜひお読みになってください。
レムナント誌のサイトはもちろん知っています。レムナントの主宰者である久保有政さんからのお便りをいただいたからです。レムナント誌の主張はアメリカの、それもあまり程度の高くない、キリスト教原理主義者たちのあいだで、昔からたらい回しにされている古い護教論を日本語に訳しただけのものにすぎません。あまり見るべきものがありません。

目を背けないで事実を直視すれば、聖書が間違っていることはもう明らかなのです。


3.人間に理解できないものなら聖書は無価値である

聖書は聖書自身が言っているように、すべて神の霊感によって人が書いたのです。つまり、聖書は「神が書いた」のです。したがって結論から言えば、聖書原本は完全です。

・・・神が書いたものを人間のちっぽけな頭で完全に理解することは不可能です。

聖書の間違いを正当化するために、「聖書は人間には理解できないものだ」などという護教論を不用意に展開すると、聖書は人間には何の役にも立たない、というクリスチャンにとっては受け入れがたい結論に陥ることでしょう。人間に理解できないものなら聖書は人間にとって何の役にも立ちません。聖書は無価値になります。

こう言った愚かな議論の原因は、一方では、聖書批判者に対して「聖書は人間には理解できない」などと言っておきながら、「聖書は完全です」などと、聖書を完全に知っていなければできない主張を平気でする、支離滅裂な思考にあります。


4.聖書が神の霊感によって書かれたものではない証明

聖書は聖書自身が言っているように、すべて神の霊感によって人が書いたのです。つまり、聖書は「神が書いた」のです。
「聖書は神が書いた」というのは人間の言葉です。上野さんは人間にすぎないからです。上野さんという、単なる人間が、いくら大声で、「聖書は神が書いた」と繰り返しても、上野さんが人間であるかぎり、「聖書は神が書いた」という主張は、人間の主張にすぎないのです。

人間の主張なら、当然、間違っている可能性があります。そこで、調べてみますと、聖書が神の霊感に書かれたものでないことは、次のように証明されるのです。

(1)神は全知で間違わない(神の定義より)
(2)聖書は間違っている(事実)
(3)ゆえに、聖書は神の霊感によって書かれたものではない。(結論)
まず、聖書の言うところが本当なら、神は全知全能だから間違いません。神は嘘つきではないので、神の教えることは間違いがありません。ところが、聖書には間違いがあることが明らかになりました(「聖書の間違い」)。それゆえに、聖書は神の言葉ではないことが証明されるのです。


5.聖書信仰が神の恵みでない証明

聖書を信じています。これは主の一方的なあわれみにほかなりません。
「聖書は神が書いた」というのが人間の言葉にすぎないように、「これは主の一方的なあわれみにほかなりません」という主張も、単に人間の主張にすぎません。上野さんはひとりの人間にすぎないからです。上野さんという、単なる人間が、いくら大声で、「これは主の一方的なあわれみにほかなりません」と繰り返しても、上野さんが人間であるかぎり、その主張は人間の主張にすぎないのです。

人間の主張なら、当然、間違っている可能性があります。調べてみましょう。

(1)神はあわれみによって信仰者に聖書を信じさせる。(仮定)
(2)神は善であり、人を騙さない。(神の定義より)
(3)聖書は間違っている(事実)
(4)神は間違っているものを信仰者に信じさせる。(1、3より)
(5)4は2と矛盾する。
(6)矛盾を導出する仮定1は間違っている。(結論)
要するに、もし、「主の一方的なあわれみにほかなりません」という主張が正しいと仮定すると、「神は善であり、人を騙さない」という神の定義が否定されることになるから、「主の一方的なあわれみにほかなりません」という主張が間違っていることが証明されるのです。


5.信仰とは人間の傲慢性のことである

この全知宇宙はイエス・キリストにより、イエス・キリストのために造られた・・・
幸福の科学の信者によれば、
大川隆法総裁先生は地球をおつくりになったかたです。(「幸福の科学について」)
だそうです。

信仰とはこんなものです。信仰とは、本当は何も知らない事柄(神や宇宙誕生)について、まるで知っているかのごとく振る舞う人間の傲慢さのことです。