佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

From nakaさん

00年8月26日

私も元クリスチャンです

私は、プロテスタントの熱心なクリスチャンの母に育てられ、ずっと聖書の神の言葉が価値基準と思って育てられました。小学四年でバプテスマも受けました。

ところが、あのオウムの事件をへて、考えを変えました。特に、印象に残っているのは、ある女性信者が、「尊師を返して下さい」と泣き叫ぶシーンです。マグダラのマリアににているな。と思いました。それをきっかけにいろんなことが聖書とタブり始めました。中学3年ごろからです。始めて"聖書は弟子のうそかも"と思ったのも、「きっとオウムの弟子達が、事件を聖書みたいに美談に書きかえるのだろう」と思ったのがきっかけでした。

そして教会へ行くのを止めました。自分は、親でなく自分自身で、信仰の理由を得なければならない。教会や聖書をもっと客観的に見よう。と思ったのです。聖書を疑うのは始めのうち、背筋の凍る思いでしたが。

今、大学で、哲学をかじり始めています。ほとんどマインドコントロール(あえてこの語を使います。)も解け、多くのクリスチャンの知り合いに、怒られたり,泣かれたり、説得されたりの毎日です。ただ人を悲しませるのは単純に嫌いなので、クリスチャン信仰を持って幸せな人はそれでも良いか。とも思っています。特に自殺未遂までしてる人におまえの信仰は間違っている。と言うほどの信念は持ち合わせてはいません。

ところで、一つ聞きたいのですが、「奇跡」に対して、ノンクリスチャンの聖書好きは、どのようにお考えですか。と言うのは、ペンテコステやイエスの癒しの奇跡無しに、キリスト教は、今の勢力を持ち得ない気がするのです。特別ありましたら教えて下さい。

最後に、お礼を致します。このホームページで始めて真剣に聖書を語るノンクリスチャンを見つけました。これからもチョクチョク見にきたいと思います。





nakaさんへ

00年9月4日

(1)オウム信者とイエスの弟子

あのオウムの事件をへて、考えを変えました。特に、印象に残っているのは、ある女性信者が、「尊師を返して下さい」と泣き叫ぶシーンです。マグダラのマリアににているな。と思いました。それをきっかけにいろんなことが聖書とタブり始めました。中学3年ごろからです。始めて"聖書は弟子のうそかも"と思ったのも、「きっとオウムの弟子達が、事件を聖書みたいに美談に書きかえるのだろう」と思ったのがきっかけでした。

統一教会の教祖文鮮明が脱税で有罪宣告され米国の刑務所に入ったとき、その弟子達は何をしたか。かれらはかれらの教祖を、無実の罪で処刑されたイエスやソクラテスに見立てて、教祖の脱税犯罪を「苦難の主」の美談に書き換えました。似たようなことがオウムでも起こるのでしょう。そして、おそらく、同じようなことがイエスのときも起こったのだろう、と思います。

突然の教祖の死に直面して、「われらの教祖が殺されたのは人類の罪のあがないのためだった」という解釈が、後に残された弟子達の間で生まれていったとしても別に不思議ではありません。そこから、かれらの教祖が処女から生まれたことになったり、水の上を歩るくことができたり、嵐を静めることができたり、殺されても数日後に生き返ったりすることになったりしてもまた不思議はありません。オウムの信者が教祖の空中浮遊を信じたり、幸福の科学の信者がかれらの教祖を「地球を造った神」と信じたりするのと同じレベルの話と考えられるからです。


(2)キリスト教によるマインドコントロール

私は、プロテスタントの熱心なクリスチャンの母に育てられ、ずっと聖書の神の言葉が価値基準と思って育てられました。小学四年でバプテスマも受けました。・・・今、大学で、哲学をかじり始めています。ほとんどマインドコントロール(あえてこの語を使います。)も解け・・・。

わたしの場合は自分で勝手にクリスチャンになり、自分で勝手にやめたわけですが、nakaさんのように、物心つくころから親の信仰の下で、聖書を無条件に従うべき権威として育てられる場合ですと、確かに、「マインドコントロール」という言葉がふさわしいと考えざるを得ません。ますます聖書の研究が重要だと感じられます。


(3)奇跡とキリスト教の世界的勢力

一つ聞きたいのですが、「奇跡」に対して、ノンクリスチャンの聖書好きは、どのようにお考えですか。と言うのは、ペンテコステやイエスの癒しの奇跡無しに、キリスト教は、今の勢力を持ち得ない気がするのです。特別ありましたら教えて下さい。

わたしは、病気癒しのようなもののいくつかは、本当にあったのだろうと思っています。(「宗教療法について」を参照してください)

福音書、とくにマルコなどをみますと、民衆を引きつけたイエス最大の魅力は病気直しであったように描かれています。癒されるために「人々は四方からイエスのところに集まってきた」(マルコ1:45)。マルコだけでも、癒し物語は実に36話、福音書全体で115話もあると言われています。(山形孝夫、『聖書の起源』、127頁)

ところで、奇跡を起こすのは、イエスだけでなく、イエスのまねをして、イエスの名前で病気を癒す者もあらわれて、それを弟子たちが「やめさせよう」としたりしたことなども描かれていますが、実は、タルムードなどの文献でも、当時、ユダヤ教のラビたちも、さかんに病癒しの奇跡を起こしていたという記述が残っており、イエスの活動した地域や民衆層が、迷信を簡単に信じやすい環境であったことがしばしば指摘されています。

イエス時代のエルサレム、およびガリラヤは、奇跡にまつわる不思議な話が、あたかも日常的であるかのような、すこぶる特異な状況に置かれていた。たとえばタルムードに登場するイエス時代のラビたちは・・・好んで奇跡を起こした。それは魔術師のように大胆で、あるラビは呪文を唱えて雨をよんだり、嵐を静めたり、時には病人を癒し、また死者に語りかけて、蘇らせることすら不可能ではない。一方、ユダヤの民衆は、こうしたラビたちの不思議な力を喝采し、奇跡にまつわる伝説を、ラビたちの生涯に事蹟を織り込んで、物語を作成した。これがタルムードに記録されたラビの奇跡話である。福音書に記されたおびただしいイエスの治療活動も、これと事情は同じである。

(山形孝夫、『聖書の起源』、135頁)

要するに、奇跡に関して言えば、イエスだけが特別だったのではありません。迷信を簡単に信じやすい民衆層が活動舞台だったというだけです。

宗教療法について」へのコメントでも述べたことですが、病気癒しは、ポジティブな考えが、肉体によい影響を与える傾向がある、というだけのことですから、伝説の中では大げさに語られることになりますが、その実際の効き目はきわめて限られていただろうことは容易に察することができます。実際、福音書でも、奇跡が失敗する例が載っています。

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いていった。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほか何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして人々の不信仰に驚かれた。

(マルコ、6章1〜6節)

イエスは故郷における自分の奇跡の失敗を人々の不信仰のせいにしていますが、なかなか現実性のある記録です。といいますのは、宗教的病気直しのような現象が生じるためには、病人の側が治療者(宗教家)を信頼するという関係が前提になければなりません。宗教的癒しとは、宗教家の超能力ではなく、直してもらえるという病人側の期待感そのものが病人の体に与えるポジティブな影響のことだからです。まったく同じ薬でも、患者が信頼する医者に与えられるときと、患者が信頼していない医者に与えられるときとでは、ききめが違うわけです。

故郷におけるイエスの奇跡の失敗は、まさに、このことを示していると言えるでしょう。「なんじゃ、ありゃあ、大工のヨセフさん家の長男のイエスちゃんじゃねえか、なにかっこうつけてんのこんなところで・・・」なんて言われたのでは奇跡も起こりません。イエスの癒しが成功するためには、簡単に信じ込む素朴な民衆層に対してイエスを神秘的に見せかけることのできる環境が必要なのに、「自分の故郷、親戚や家族の間」ではそれがうまくできないわけです。宗教的癒しの正体は、このイエスの奇跡の失敗の説話に最も顕著にあらわれていると言えるでしょう。

ところで、わたしは、イエスの癒しはイエスやその弟子たちの活動中のごく初期においては大きな力を持っていたものと思いますが、その後のキリスト教が「今の勢力を持ち得」るようになったのは、それとはまったく別の力によるものだと思っています。それは、キリスト教がどのようにして世界に広がっていったかをみれば納得できると思います。

キリスト教が「今の勢力を持ち得」るきっかけをつかんだ決定的瞬間は、ローマ帝国の指導者がキリスト教を帝国主義の支配イデオロギーに役に立つと考え、キリスト教の指導者がローマ帝国の金と力が布教に役に立つと考え、両者が手を握ったことに始まります。キリスト教の活動のための中央府が、イエスの活動したガリラヤでもなく、イエスが処刑されたエルサレムでもなく、ローマにあることはけっして偶然ではありません。

ローマ帝国のあとは、ポルトガルやスペイン帝国、ポルトガルやスペインの後は、イギリスやフランス帝国、その後はアメリカ帝国。何がキリスト教に「今の勢力を持ち得」させるうるようにしたかは、世界史を眺めれば一目瞭然ではないでしょうか。それは帝国主義です。帝国主義はキリスト教を支配のイデオロギーに利用し、キリスト教は帝国主義の金と権力を布教のために利用したのだと思います。

アメリカ合衆国の富と力を背景にやって来た宣教師ではなく、アフリカの誰も知らない村の酋長がやって来て、「わたしたちの村にはかつて神人がいて、彼は水の上を歩くことができ、病人の悪霊を呼び出して”豚の中入れ”と命令すれば悪霊が人から出てきて豚の中に入り、他の部族に八つ裂きにされて死んだときも、三日後に墓から出てきて生き返った」などと語っても、そんな話に耳を貸すものは誰もいないでしょう。莫大な金力をつぎ込んで立てられた病院が、病を癒すという仕事をするだけでなく、「聖〜病院」という大きな看板をかかげる背後には、博愛主義以上の目的があります。宣教師の背後に見え隠れする帝国主義の富と権力、それがキリスト教に「今の勢力を持」たせたのだと思います。


おたより、ありがとうございました。


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