佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。


  ホー  キリスト  聖書の間違い  来訪者の声 

匿名さんより

00年8月9日

私もクリスチャンを捨てました

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作者より匿名さんへ

00年8月19日

それにしても、uchidaさんでしたっけ。あの方は思い込みだけで、聖書の原則に従っていないクリスチャンですね。不思議です。自分の祈りと神の声をごっちゃにしてしまうなんて、ある意味すごく恐いですよ。きっと、聖書もそんな方々が書いたのでしょうね。

uchidaさんからのお便りは、神の声を聞くとは一体いかなることであるかを知るうえで、非常に貴重なものです。わたしには、けっして、uchidaさんを批判することはできません。わたしもまた、かつて、神の導きや教えを「感じ」たりしたことがあるからです。ただ、わたしの場合は、いつでも、あとから、あれは本当に神の導きだったのだろうか、神の声だったのだろうか、わたしが勝手にそう解釈したに過ぎないのではないだろうか、という疑問がいつもつきまとっていました。そして、わたしは、結局、何が神の声であり、何がわたしが勝手にそう解釈したに過ぎないか、この二つを区別する客観的な方法をわたしが全く知らないことを認めるに至りました。

神の声とわたしの思い込みを区別する客観的な方法がない限り、神の声であるとどんなに強くわたしが確信しても、客観的に言えば、わたしが勝手にそう解釈しているに過ぎないことになります。こうして、わたしは、いままで、わたしが神であると思ってきたものが、実は、わたしがわたしの心の中で、自分の救いに都合のよいように、わたしが勝手に造りあげた神像にすぎないことを認めるに至りました。(このことはもちろん神が存在しないことを意味するものではありません。わたしは有神論者(信仰者)ではありませんが、無神論者でもありません。ただ、わたしはわたしが神を知らないことを認めただけです。)

さて、人間というものは、日本人であろうとアメリカ人であろうと、現代人であろうと数千年前の古代人であろうと、あまり変らない、というのがわたしの意見です。わたしは、たとえば、旧約聖書の預言者たちや福音書を書いたマタイやルカなどが、宇宙人でもあるまいし、特別異なった超能力をもっていて、神の声を聞くことができ、それを、自分の思い込みと区別ができたとは、とても考えられないのです。むしろ、かれらは、uchidaさんやかつてのわたし自身のように、神の声と自分の思い込みを区別をすることなど考えても見なかったのだと思います。


おたより、ありがとうございました。


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