佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー   キリスト   聖書の 間違い  来訪者 の声 

サラさんより

99年12月30日

反論:太陽の創造時期の間違いについて

人間の知識では太陽なしに光があるとは考えられませんが「光よ。あれ。」と言われた時、太陽がまだなかったのに光があったり、太陽が無いのに昼と夜があることを考えると、神様には太陽なしに植物を育てることなど簡単です。だからそのような理由だけで間違いとは言いきれません。

サラ



作者よりサラさんへ

00年1月16日

太陽なくしても光は存在します。蛍の光もそうだし、わたしたちの銀河や他の銀河に存在する何億もの星もそうです。しかし、地球上の植物の繁殖を可能とした不可欠の条件は太陽からの光でした。したがって、太陽が存在する以前に地球上の植物が繁殖していたという聖書の記述は、とても受け入れられません。

さらにまた、すでに、他でも説明しましたが、今からやく46億年前に、銀河系の中のある星間雲のなかで、ガスの濃い部分が重力によって収縮をはじめ、ガス塊の内部はそれによって、加速的に加熱され、やがて、いわゆる「巨大な明るい星」となったと言われていますが、これが「原始太陽」と呼ばれている状態です。その後、原始太陽は、ゆっくりと収縮を続け、約1000万年後、中心部で水素の熱融合反応が始まり、それからさらに数千万年後、わたしたちの知っているような太陽になったとされています。 この原始太陽を取り巻いていた、ガスやチリのほとんどは太陽に吸収されますが、その残りは、いわゆる「原始太陽系星雲」と呼ばれ、太陽の回りをまわりながら、次第に、微惑星を形成してゆきます。その微惑星が相互に衝突合体を繰り返して、大きくなったのが、地球その他の惑星ですが、地球が現在の大きさになったのは、太陽誕生から約200万年後だと言われています。 したがって、太陽を周りながら形成された地球が、太陽が作られる以前に存在していたという聖書の記述は、物理学的にも受け入れられません。

聖書を書いた古代人が、地球の歴史や太陽と地球の関係について無知であったことにはなんら責めるべきことはありません。わたしたちは、そのような知識を古代人に期待していないからです。むしろ、これらの事柄について無知な古代人が書いたことを、真実として信じることを現代人に要求するキリスト教のプレッシャーこそが批判されるべきでしょう。真実を知る努力より、救いの約束と引き換えに非真実を信じることを強制するキリスト教のプレッシャーは無視することのできない悪だと思います。

おたより、ありがとうございました。


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