聖書の間違い

復活(1)

--- イエスと共に復活した人々 ---

佐倉 哲


新約聖書によれば、十字架につけられたイエスは、三日後によみがえったことになっています。有名な復活物語です。ところが、マタイによると、そのとき復活したのはイエスだけではないのです。なぜ、クリスチャンはこのことをあまり語りたがらないのでしょうか。



イエスとともに復活した者たち

新約聖書によると、十字架につけられたイエスは、三日後によみがえったことになっています。有名な復活物語です。ところが、マタイによると、そのとき復活したのはイエスだけではないのです。

マタイによる福音書 27:50-54
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当にこの人は神の子だった」と言った。
この、多くの死人が生き返って墓から出て来て、聖なる都(エルサレム)において多くの人に現れた、というファンタスティックな物語は、他の福音書にはまったく記録されていません。イエスの復活もさることながら、この強烈な奇跡的復活事件が、当時の歴史文献(たとえば、ヨセフスの歴史書)にも、また他の福音書にもまったく記録されなかったということは、まことに奇妙であり、私たちの疑心を刺激するものです。しかも、現在にいたるまでクリスチャンたちはこの物語について、ほとんど何も語りたがりません。彼らにとってさえ、やはり、語るのが気にひける、信じがたい物語なのでしょうか。


マタイの加筆

マタイが記録する復活物語は、死人が墓から生き返って、しかも多くの人に現れたという、ものすごい奇跡なのに、他の福音書の著者はそれについて何も知らない(あるいは、そういう話を聞いていても信じなかった)のです。そこで、マタイが彼の福音書を書くにあたって基礎資料にしたといわれるマルコの記録と比べて、マタイが何を何故加筆したか調べてみましょう。

マルコによる福音書 15:37-39
しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そしてイエスがこのように息を引き取られたのを見て「本当にこの人は神の子だった」と言った。
マルコによると、イエスが死んだとき起こった「奇跡」は、垂れ幕が裂けたということだけです。地震も起きず、地震によって岩が砕けるということも起きず、墓が開いて死人の死体が生き返ったという事も起きません。これはどう解釈したらよいのでしょうか。特に、マルコによる福音書は「イエスの奇跡物語」と題してもよいぐらい、きわめて奇跡物語に興味を抱いているです。そのマルコが、この奇跡物語を知っていて、しかも、それを彼の福音書に記録しなかったとは、きわめて考えにくいのです。したがって、この死人が生き返って墓から出てくる復活物語は、マルコがその福音書を書くときにはまだ成立していなかったか、あるいは、それが極めて限られたサークルの中だけで伝承していったか、あるいはその両方、と考えられます。

しかしながら、この物語が、マルコ以後に成立したと考えても、あるいは、極めて限られたサークルの中だけで伝承していったと考えても、墓から生き返った多くの死人がエルサレムに入り、人々に現れたという、奇跡のすごさを考えてみるとき、それが初めから多くの人に知られていなかった、という事態は考えられません。したがって、この復活物語は歴史的事実としての信憑性がきわめて薄いのです。この物語は創作された可能性が高いのです。そして、この可能性は、マタイの加筆の動機を考えてみるとき、さらに高まります。

なぜ、マタイはこのような加筆を行ったのでしょうか。マタイが彼の福音書において、マルコの欠点と思われるところを補ってイエス物語に修正を加えたことについては、「イエスの最期(1)」でも、その例をあげました。ここでも同類のことが見られます。まず、マタイの記録における最も注目すべき点は、「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当にこの人は神の子だった』と言った」という著者の言明です。つまり、この言明の中に、著者がこの奇跡物語を書いた動機が素直に述べられているところに注目すべき点があるです。彼は、この奇跡物語を読む人が「本当にこの人は神の子だった」と思うようになって欲しいのです。こんなすごい奇跡を起こすのだから、イエスは神の子に違いない。彼は読者にそう信じて欲しいのです。だから、彼はこのすごい奇跡の物語を記録に加えたに違いありません。

おそらく、マタイにとって、マルコの記述は、どうして、いままでイエスの敵であるローマの兵隊である百人隊長などが「本当にこの人は神の子だった」と言って、突然の改心をすることが出来たのか、説得力に欠けると考えたのでしょう。そこで、墓から死人が復活するという伝承を、このイエスの死の出来事のひとつに加えたのでしょう。地震が起きて、岩が砕けた、と言うような部分は、イエスの死の物語と墓からの死人の復活という物語の二つをつなぎ合わせるためのマタイの編集的加筆と考えられます。では、マタイはこの物語を勝手に作ったのでしょうか。そうではありません。


物語の本当の出所

わたしたちは、マタイがその福音書に取り入れた、死人が墓から復活するという物語が、そもそも何処で発祥したか、を知っています。それは、イエスの時代を遡ること、数百年前に書かれた旧約聖書の一つエゼキエル書37章にあるのです。

エゼキエル書 37:12-13
それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。「わたしはお前たちを墓をひらく。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
一般に、初期のクリスチャンはイエスの出来事は旧約聖書の預言の成就である、と強く信じたがっていたことは新約聖書全体を通して見られる一貫した特徴です。自分たちの周りに起こっている事態が聖書に預言されていたことの成就であると信じることは、自分たちが神の地上における業の一端を担っていることを意味するからです。これは彼らに勇気をあたえます。ところが、この信仰は二つの危険を伴っています。ひとつは、自分たちの周りの事態に合わせた預言書を新しく書いてしまうことです。そして、それが、ずっと昔に書かれたものである、と宣伝することです。これが、西暦前3世紀から西暦1世紀にかけて流行した、いわゆる黙示文学とよばれる一連の宗教書です。(「アダムの黙示録」や「エノク書」など、そのほとんどは、偽書として、後のユダヤ教によって否定されましたが、幾つかは、聖書の一部として、残されています。その例の一つが、「ダニエル書」です。そして、キリスト教は、黙視文学の流行している真っ最中にうまれた新興宗教なので、その全体に「預言成就」を重視する傾向があるのです。)

もう一つの危険は、その預言されている事態は起こっていないのに、それが起こったという主張をおこなう危険です。これについては、すでにヨハネがイエスに「渇いた」と語らせた例(イエスの最期(2))をあげましたが、マタイのこの復活物語も、この例の一つと言えるでしょう。これは意図的に嘘をついたのではなく、イエスの出来事は旧約聖書の預言の成就である、と一旦強く信じ込んでしまえば、「預言されているのだから、起こったに違いない」という心理状態が生まれてしまうので、そのことから生じた過失といえるでしょう。


クリスチャンが語りたがらないわけ

そこで、マタイにだけに載っている、イエスと共に復活した人々の物語に関しては、

	(1)奇跡のすごさにもかかわらず、マタイにしか取り上げられず、客観性が欠如している。
	(2)著者は、イエスを神の子として信じさせようという、あからさまな意図をもっていた。
	(3)物語の内容は、実は旧約聖書のエゼキエル書にあった。
	(4)著者は、イエスの出来事は旧約聖書の預言の成就であるという信仰的動機をもっていた。
などの状況証拠から、次のような一つの結論が導き出されます。つまり、この多くの死人が墓からよみがえったというきわめて特殊な復活物語は、イエスを信じ、また、信じさせるための信仰的情熱が意図せずして生んだ一つの創作である疑いがきわめて大である、ということです。現代のクリスチャンがこの物語について多くを語りたがらないのもうなずけます。