佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー   キリスト   聖書の 間違い  来訪者 の声 

EYさんより

00年1月23日

日基の幼稚園に通っていました。小学生の頃までは日曜学校にも通っていましたし大学の宗教音楽合唱団で歌っていましたが、今では随分縁遠くなってしまいました。

こんな私ですが、神の存在は疑っていません。決して悪意を持ってはおりませんので、お知恵をお借りできれば幸いです。

(1) 新約聖書では「父なる神」という記述があります。神に性別があるのは何となくそんなものかな?という感じなのですが、これは人たるマリアが聖霊により身ごもったことから「父なる神」なのでしょうか。「主たる神」とニュアンスが異なるような気がするのです。


(2) イエスの母マリアのことを記述している箇所を読みたいのですが、ご紹介いただけないでしょうか。



作者よりEYさんへ

00年2月5日

(1)「「主たる神」とニュアンスが異なるような気がするのです

神を父と呼ぶのは当時のユダヤ教でもギリシャ・ローマの宗教でもありますが、福音書に登場するイエスという人物が神を「父」と呼ぶ場合は、それらよりも、イエスと神の間に特殊な親近感を感じさせる関係として描かれています。イエスを特別な「神の子」とする、福音書を書いた当時(イエス死後半世紀ごろ)の信仰を反映しているわけです。マリアが聖霊により身ごもったといったあやしげな噂が福音書に取り入れられたのも、そのようなイエス信仰にマッチするからでしょう。

このような土壌から、後にはイエスは「子なる神」に格上げされることになります。そうして、神は人間ではなく、人間は神ではない、という本来の聖書の教えから、キリスト教は離れていくことになったわけです。ですから、キリスト教における「父なる神」に関して、本来の聖書の「「主たる神」とニュアンスが異なるような気がする」といわれるのはまったくその通りだと思います。

(2)「イエスの母マリアのことを記述している箇所

福音書と使徒行伝です。特にルカがたくさん書いています。

おたより、ありがとうございました。


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