佐倉哲エッセイ集

キリスト教・聖書に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


  ホー   キリスト   聖書の 間違い  来訪者 の声 

K.M.さんより

99年12月16日

「聖書とは--- 『聖書』という言葉の指すもの ---」に対する反論


「セプトゥアギンタ訳(七十人訳)」に含まれる

外典の書を正典とみなす議論は大抵の場合、西暦前280年頃にエジプトで翻訳が開始された旧約聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳の初期の多くの写本にこれら外典の書物が見出されるという事実を基としています。しかし、セプトゥアギンタ訳の原本は残存していないので、外典の書が元々その翻訳に含まれていたと断言することはできません。外典の書物の多く、おそらくほとんどはセプトゥアギンタ訳翻訳開始の“後に”書かれたことが認められており、そのゆえにその翻訳者団が翻訳のために選んだ当初の目録には含まれていなかったものと考えられます。ですから、それらはせいぜいこの訳業に対して付加的な位置を占めていたに過ぎません。

さらに、アレクサンドリアにいたギリシャ語を話すユダヤ人は最終的にはそれら外典の書物をギリシャ語セプトゥアギンタ訳に挿入し、神聖な書物の拡大された正典の一部としてみなしたとしても、それは決してエルサレムもしくはパレスチナの正典の中に入れられることはなく、せいぜい二次的な書物とみなされたに過ぎず、神から出たものとはみなされませんでした。そのため、ユダヤ人のヤムニア会議(西暦90年頃)で、それらの書物は全て旧約聖書正典から明確に除外されました。

1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは、旧約聖書正典の限られた書だけが聖なるものとして承認されていたことを示し、こう述べています。「我々のうちには、互いに食い違い、互いに矛盾する多数の書があるのではない。我々の書、すなわち正しいと認められたのは22冊(現代の区分による旧約聖書の39冊に相当する)しかなく、それらは全時代の記録を含んでいる。」 彼はさらに、外典の存在、およびそれらが旧約聖書正典から除外されていることに気付いたことをはっきり示し、こう付け加えています。「アルタクセルクセスから我々の時代に至るまでの全歴史が書き記されてきたが、それらは以前の記録と同等に信用できるものとはみなされていない。というのは、厳密な意味での預言者たちの継承がないからである。」―「アピオンへの反論」、