このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
99年12月9日
サムエル記第一 16章18-23節とサムエル記第一 17章55-58節とを比較すると、 矛盾のように思える事柄が明らかになります。というのは、後の章句でサウル は、自分自身の宮廷楽士であり武器持ちであるダビデの身元について尋ねている 様子が描かれているからです。しかし、それ以前にダビデは「勇敢な力のある人 で、戦人」であると言われているからとはいえ、その描写は、ダビデが父親の羊 を救い出すために単独でライオンや熊を殺した、その勇敢な行動に基づく描写で あったかもしれないことに注目すべきです。(サ一 16:18;17:34-36) また 聖書は、ダビデがゴリアテを殺す前にサウルの武器持ちとして実際に戦闘に携わ った、とも述べていません。サウルはエッサイに、「どうか、ダビデをわたしに ずっと仕えさせてもらいたい。彼はわたしの目に恵みを得たのだから。」と頼ん だのです。(サ一 16:22) そう頼んだとしても、後にサウルはダビデがベツレ ヘムに戻るのを許した、と考えることができないわけではありません。ですか ら、フィリスティア人との戦争が起きた時に、ダビデが父親の羊の群れを牧して いたこともあり得るのです。
「アブネル、この少年はだれの子か」というサウルの質問に対しては、C・F・ カイルとF・デリッチ著『旧約聖書注解』(178ページ、脚注)にこう述べられて います。「アブネルはサウルのハーブ奏者の血筋のことなど気にしていなかった としても、サウルはダビデがベツレヘム人エッサイの息子であることを簡単には 忘れなかったであろう。しかし、サウルの質問にはそれ以上の意味が含まれてい た。サウルが知りたかったのは、ダビデの父親の名前だけでなく、あれほどの驚 嘆すべき英雄的な行いを成し遂げる勇気を持った若者の父親は実際にどのような 人かということであった。また、その質問をしたのはゴリアテを打ち倒したもの に対する約束の報いとして、その者の家の税金を免除するためだけでなく(25 節)、そのような人を宮廷に配属できないかどうかを探るためでもあった。サウ ルはその息子の勇敢さや勇壮さからその父親にも同様の特質があるに違いないと 考えたのである。確かにダビデは、『あなたの僕、ベツレヘム人エッサイの子で す』と答えただけではあるが、18章1節の『彼がサウルと話し終えるや』という 表現から、サウルがダビデの家族の事柄についてダビデと更に多くの会話をした ことは極めて明白である。なぜなら、その言葉自体に長い会話が行われたことが 暗示されているからである。」(「だれ」または「何者」という問いに当人の名 を単に聞く以上のことが関係している他の例については、出エジプト記 5:2; サ一 25:10を参照。)
99年12月11日
<準備中です>
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