「永遠の命」の思想について

おもしろく読ませていただきました。宗教を考えてみるとき旧約の世界では救い 主を待ち望みきっと多くの予言者がそれを予言し書き留めたと思うのです。しか し その予言は自分の民つまりユダヤ人が自ら救い主を殺してしまうと言うもの であればその予言者は殺され記録も取り除かれるに違いありません。佐倉さんが 言われるように聖書は人の手をすぎるたびに真理を失ってきていると思います。 とても残念なことだと思います。しかし難解なイザヤ書の中に救い主の誕生や死 についてふれられており、難解であるが故に記録が残ったことは皮肉なことだと 思います。

                 


旧約聖書の予言について。

たとえば、エホバの証人たちは自分たちを「神の組織」として信じているために、彼らにとっては聖書の言葉が自分たちのことを予言しているように思えるように、また、統一協会の信者は文鮮明氏を再臨のキリストとして信じているために、彼らにとっては聖書の予言が彼らについて書いてあるように思えるように、クリスチャンたちにとっても、ナザレのイエスを「救い主」と信じているために、ユダヤ聖典(旧約聖書)に書いてある事柄が、イエスについて予言しているように思えるのでしょうが、そのような前提をもたないでユダヤ聖典を読んでみると、聖書はまったく別なことを語っているように思えることでしょう。

ユダヤ聖典だけいくら読んでも、そこからイエスが救い主であるという帰結を論理的に導出することはできないでしょう。したがって、真相は、イエスを「救い主」と信じたい理由が先にあって、それを正当化するために、ユダヤ聖典が特殊な視点から解釈されたのだろうと思います。それは、自分たちの団体を「神の組織」あるいは「神の選民」であると信じたい理由が先にあって、それを正当化するために、エホバの証人たちや統一協会の信者たちが、さまざまな特殊な聖書解釈をほどこすのとよく似ています。