(これは「12月22日」の続きです)

長々とまた聖書の記述を載せられていますが、佐倉氏の主張を援護するに何の意味も 在りませんね。

『矛盾を認めたくないばかりに、「セックスの事などなんの関わりもありません」と 思いたがっておられるようですが、「床を共にする」「まだ彼女に近づいていなかっ た」「彼女に触れさせなかった」「あなたの妻と寝たら」、などというセックスへの 言及が示すように、これらの聖書のものがたりでは、「美しい女」を(妻として)手 に入れることとセックスとは深く結びつけられています。 美しい女を妻にしたい、という願望のなかには、通常、「床を共にする」ことへの願 望も含まれています。それは、「現代人の常識」の偏見ではなく、聖書のこれらの記 述も述べているように、おそらく、どの社会においても、いつの時代においても同じ なのでしょう。』
と私の反論の主題をまったく理解されていないようなのでもう一度簡単に尋ねます が、


(1)佐倉氏の主張されている聖書の「物語同志の矛盾点」とはどこですか?

何度も聖書の記述を載せられても聖書の記述同志の矛盾があるようには思えません が、佐倉氏の指摘される矛盾点とはどのことですか。また矛盾という言葉の意味を 知っておられるのでしょうか。


(2)「美しい女を妻にする事とセックスとは深く結びつけられている」?

佐倉氏得意の聖書の一部分解釈がまたでましたが、