佐倉哲エッセイ集

人権思想と日本

佐倉 哲


「我々は、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、創造主によって、誰も奪うことのできない生来の権利を与えられ、その中には生命、自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる。またこれらの諸権利を守るために人間は政府を樹立すること、そしてその権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形態といえども、もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを廃し、彼らの安全と幸福をもたらすべきと認められる主義を基礎として、そのような権限の機構をもつ新しい政府を樹立する権利を有することを信ずる。」(「アメリカ独立宣言」より)

1996年5月15日発表
1997年3月30日更新



人権思想の論理的構造

人権思想を代表する言明は、なによりもトマス・ジェファソン起草による1776年のアメリカの独立宣言である。このなかでジェファソンは、「生命、自由、および幸福の追求」などの諸権利は、神によって与えられた生来のものであるから、誰によっても奪うことはできないものである、と主張した。そして、この哲学的根拠をもとに、国家が政府を樹立する目的は、まさに、これらの諸権利を守ることである、と宣言した。

この人権思想は、西欧民主主義の基本理念の一つであり、またアメリカ合衆国の外交の基本理念の一つであるが、特に国連などを通して、「人類の普遍的原理」として、すべての国が受け入れるべき価値観として、アメリカ合衆国が、現在に至るまで積極的に「世界布教」してきた政治思想である。

「人権」(Human Rights)なるものの思想的特徴は、個人の諸権利が誰によっても奪われることのできないことを、創造主であるゴッドによって与えられたものであることを根拠として主張していることである。それは、いわゆる「(公)民権」(Civil Rights)とは、根本的に異なった概念である。「(公)民権」とは、社会共同体がそのメンバーに与え、法律によって保護された権利であり、「(公)民権」が、いわば、人間相互の約束事であるのに比べて、「人権」とは、いかなる人間の作った法律や多数決によっても奪うことの出来ない、人間が持って生まれてきた生来の権利のことである。「持って生まれてきた生来の権利」とは、もちろん、「神が与えた」ということを現代風に言い換えたものである。人権思想が「人類の普遍的原理」といわれるのも、それが、国境を越え世代を越えて、有効な原則という意味であり、やはりこれも「神の命令」ということを現代風に言い換えたものである。神の神聖さによって個人の権利を守ろうとする思想が人権思想である。つまり、人権思想とは「人権神授説」に他ならない。


人権思想のジレンマ

しかしながら、人権思想は、実は、深刻な自己矛盾を内包している。人権思想によれば、国家の法律といえども人権を蹂躙することはゆるされない。それが人権思想の神髄である。とすれば、人権は国家の法律、つまり人間どうしのいかなる約束事より上にあるものでなければならない。従って、それは人間の意志のかかわらない、ゴッドのような神秘的存在によって与えられたものでなければならない。人権思想の超越性・普遍性は、そのように、人権思想が成立するためになくてはならない必要条件であった。ところが、「すべての人間はその諸権利をゴッドによって与えられた」というような判断は、あくまでも人間の側の思い込み(信仰)であるから、人権思想は、それが持っていなければならない超越性・普遍性が、結局は人間の主観的個人的思い込みというきわめて非超越的、非普遍的なものによって支えられているというジレンマ、つまり自己矛盾に陥っているのである。


人権思想の歴史

人権主義の論理的ジレンマがその姿を具体的に表すのは人権思想の普及の歴史である。ところで、人権主義は必ずゴッドのような存在を前提としなければ成立しないのであるが、ゴッドの存在を認めれば必ず人権主義を認めるようになるというわけではない。例えば、歴史を少し遡れば、王権神授説、つまり王の特権はゴッドによって授けられたものである、という政治思想が西欧キリスト教社会を長く支配していたことが知られる。また、聖書を開いてみれば、それが(古代イスラエルのダビデやソロモンの)王朝や新約時代における奴隷制度を積極的に認めていることを知ることが出来るであろう。もちろん、近代になって、その人権主義の出現に際して何か神からの新しい啓示があったわけでもない。ただ、王の特権は認めたくない、自分たちも同じ権利を持ちたい、そういう人民の欲望が先ずあって、それを正当化するためにゴッドが解釈し直されたにすぎない。つまり、王が王の都合のよいように王権神授説を主張したように、人民は人民に都合のよいように人権神授説を主張したわけである。人権思想の超越性は結局人間の主観的思い込みに支えられているからに他ならない。

また、すでにわたしたちは、「我々は、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、創造主によって、誰も奪うことのできない諸権利を与えられ」ている、と高らかに謳うアメリカ独立宣言を人権思想の代表的思想表現として見たのであるが、それはまさに人権思想の超越性を雄弁に語ったものであった。しかしながら、「すべての人は平等に造られ」たと謳う独立宣言を起草したジェファソン自身、他の多くの白人アメリカ人と同様に、それを書いている当時、187人の奴隷を所有していて、ヴァージニア州の自分の荘園でタバコ栽培の強制労働に従事させていたのであった。つまり、王権神授説が王の身勝手なゴッドの解釈であったように、ジェファソンの人権神授説も白人アメリカ人の身勝手なゴッドの解釈であった。

このようにしてみると、わたしたちは、西欧人が西欧史のなかで「勝ち取ってきた」人権思想なるものが、なにか人類に普遍的な原則であるがゆえに普及してきたと思わされてきたけれど、実は、この人権思想の普及というものは、それがむしろ主観的特殊な思想(信仰・思い込み)であったが故に、政治的的意志力によって勝ち取られねばならなかったのである。例えば、「地球は丸い」という客観的事実が人間の知識の拡大によって自然普及していったのとは根本的に異なる普及の仕方をしていったのである。むしろそれは、宣教師がキリスト教を広めるような仕方で、改心への圧力・政治的圧力によって普及していったのである。人権思想の根本が普遍的客観的知識ではなく、実質的には、ある文化に特殊な主観的思想によるものだったからである。


日本人の人権思想との出会い

しかし、この人権思想の矛盾がもっとも顕著に現れるのは、西欧歴史の中ではなく、その外においてである。どんなに主観的な信仰であっても、まわりが同じ様な信仰を抱いている場合はその主観性・特殊性に気づきにくく、自分たちの信じているものが普遍的なものだと思い込みやすいからである。夢を見ている限りそれが夢であることに気がつかないようなものである。しかし、それがいったん西欧世界を出るとき、事情はまったく変わってしまう。たとえば、西欧人の信じているような意味での神など信じない日本人が人権思想と出会ったときの困惑はきわめて当然であった。明治の知識人たちは、人権思想の超越性を儒教的に解釈し直して、「天賦の人権」と名付けてみたりしたが、一般に、人権思想は日本人になじまなかったといってよい。ゴッドなくして人権思想は機能しないのに、日本人の生活の場にはゴッドが存在しなかったからである。(人権が日本に根を下ろしていないことは、たとえば、人権とは何か、と日本人に聞いてみればすぐ分かるであろう。せいぜい学校で習った教科書の文句を繰り返すのが関の山である。)

明治の知識人たちのなかで、人権思想をもっとも熱心に取り入れようとしたのが土佐出身の植木枝盛(1857〜1892)であろう。彼は自由民権運動の理論的リーダーの一人として、また板垣退助のブレーンとして活躍し、また、1881年には人権の保障を目的とした「東洋大日本国国憲案」という憲法草案を発表した。明治憲法(大日本帝国憲法)が発布される八年前のことである。その彼は、あるときから、非常に熱心にキリスト教を学んでいる。彼の読書リストにはキリスト教関係の本がたくさん並んでいるし、彼の日記には、彼がしばしば教会の説教や聖書講義を聞きに通っていることが記されている。それは、彼が人権思想の論理的根拠を求めていたからに他ならない。

その植木枝盛に多大な影響を与えながら、本人は人権思想を否定して、後に植木の批判の対象になった人物がいる。福沢諭吉である。福沢は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という明言を吐いて西欧民主主義の平等主義を受け入れたが、神の存在を前提にする人権思想は容赦なく捨てた。福沢が徹底した合理主義者だったからである。福沢にとって、士農工商の身分制度が捨てるべき日本の封建思想であったように、ゴッドの思想など見るべき価値もない西洋の迷信だったのであった。迷信の上にたてられた人権思想など、福沢にとってはじめから問題にならないのであった。それに比べて、人権思想のとりこになった植木は、人権思想を日本に確立するために、その論理的土台となっているキリスト教を受け入れようと真剣に努力したのである。

日本人は福沢の平等思想を、待ってましたとばかりに受け入れ、士農工商の階級制度を本当に一夜にして捨ててしまった。それはまことに見事なものであった。そして、福沢諭吉の名前と彼の平等思想は、それ以後、日本人の心に深く刻まれることになるのであるが、福沢とともに活躍した植木枝盛の名前も彼の人権思想も、一部の学者の研究の対象になるだけで、やがて日本人の記憶から消えていってしまうのである。なぜか。

第一に、日本人が結局ゴッドを生活の場に受け入れなかったからである。第二に、西欧社会においては、平等主義を正当化するために個人主義・人権思想・人権神授説が生み出されたのに、日本の社会はそういう理屈なしに平等思想が成立する文化的歴史的背景を持っていたからである。例えば、1650年(慶安3)に刊行された『翁問答』の中で、中江藤樹は「万民はことごとく天地の子なれば、我も人も、人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり」と説いているが、それはジェファソンが「すべての人は平等に造られた」ことを主張した「独立宣言」より120年以上も前のことであった。第三に、キリスト教が明治の知識人に紹介されつつあるとき、西欧ではすでに進化論が大きな影響を持ち始め、西欧人自身がゴッドを疑う時代に入っていたからである。

このような日本の事情の中で、植木はすでに当時の日本でも知られるようになっていた進化論・無神論・懐疑思想のキリスト教批判に対して、様々な反論を試み、キリスト教弁護に努力した。そのころ彼は、耶蘇教は「天立の宗教」であり他の宗教は「人立の宗教」である、などと書いているが、人権思想が超越性を要求していたことを彼はよく承知していたからある。ところが、後年その植木自身、結局キリスト教に背を向けざるを得なかったのである。そして、彼の悲劇(晩年の精神異常)は、キリスト教のゴッドを捨てた後、なおも人権主義にしがみついていたところにある。

植木は晩年、神を認めることは人間を卑下することである、というような論理を展開して、キリスト教というものが、人間一人一人の尊厳を信じる人権思想と矛盾する、と主張し始める。これが有名な彼の晩年の主張「尊人説」である。本来、人間が尊い存在であるのは、神が人を創造し、かつ諸権利を与えたからである、というのが人権思想の骨子であった。いわば、神の権威をかりて人間の超越的尊厳性を説く思想であった。ところが、結局神を信じることに至れなかった彼は、神なしで人間の心の超越的尊厳性を説こうと試みたのである。そういう彼が、いつのまにか自分自身を神のような存在として考えるようになっていったのは必然的であったと言えよう。「晩年は発狂したといってよい。自分を天子のようにおもうていた」と、横山又吉が報告するように、植木の心は、晩年、自己を天皇やナポレオンと同一化する精神病に犯されていったのである。こうして、明治の奇才植木枝盛の挫折と共に、日本における人権思想も挫折をすることになるのである。


現代日本の人権思想

挫折した人権思想を蘇らせようとしたのが、もちろん、アメリカ人が作った日本国憲法である。そして、現代日本における人権思想の提唱者の代表はおそらく、その日本国憲法を高く評価しておられる憲法学者の樋口陽一氏であろう。樋口氏は「非西欧世界で個人の尊厳、人権の確保という西欧世界の基本的価値観を人類普遍の原理としてきた」(朝日新聞96年5月某日)として日本憲法を高く評価される。樋口氏の憲法論は憲法を人権中心主義によって解釈することをその特徴としている。とくに、憲法は「ときとしてデモクラシーにも歯止めをかけることになる。憲法があるから、デモス(民衆)はかってなことをしてはいけない、デモスによって選ばれた人民の代表といえども手をつけてはいけない社会の骨組みがある」と主張されているが、氏は、人権を民主主義より上位におく人権至上主義者である。これは樋口氏が、人権というものは民主主義政府であってもそれを犯すことのできない最高価値であるとする人権思想の超越性をよく理解しておられるからである。

また、個人主義と日本の和の相違にもしばしば言及して、「法文化とは摩擦の文化です。日本の『和』の精神とはあわないところがある」とか、「日本社会ではもっと『和』よりも『強い個人』が必要」であるというような発言に見られるように、日本に人権思想が定着しないのは、おもに日本の「和」伝統ゆえであるという考えを持っておられて日本の「和」を批判される。それもまた人権主義者としては当然の立場であると思われる。人権主義の持つ個人主義の性格が、通念として知られている日本人の「和の精神」と矛盾すると考えられているからである。

しかしながら、この樋口陽一氏の憲法論・人権論にはさまざまな問題点がある。そしてそれらはすべて、人権思想が、ある文化に特殊な主観的思想に過ぎないにもかかわらず、「人類の普遍の原理」としてふるまわなければならない内部矛盾から生まれているのである。そのなかでも、樋口憲法論の最大の問題は「個の尊厳性」がそもそも何によって支えられているかという最も大事な点について沈黙されているところである。それが説明されなければ人権思想は本当の説得力を持たないからである。ジェファソンの独立宣言では、人権は人間の創造主であるゴッドが人間に与えたゆえに神聖なのである、という西欧人にとってはたいへん説得力のある明快な説明を与えた。また、明治の初期、植木枝盛がその問題を解決しようとしてキリスト教を受け入れようと努力したことをわたしたちはすでに見たのである。ところが樋口氏の人権論にはこの部分が完全に欠けている。樋口氏は隠れキリシタンなのだろうか。それとも、晩年の植木枝盛のように、いかなる人間も犯すことの出来ない「個の尊厳性」を超越神を前提にしないで立証できると考えておられるのだろうか。樋口氏がこの超越性の問題に明解な回答を与えることができない、つまり人権思想の根拠付けができないところに、日本における人権思想の第一の問題があるのである。

樋口憲法論の第二の問題点は、なぜ人権思想が日本人に受け入れられないかについての日本人の側の立場に対する理解にはなはだ欠けておられる点である。日本における和の伝統が、人権思想・個人主義が受け入れられない原因の一つであることに気づいておられながら、また、そのことに幾度となく言及されながら、和とは何かに対する研究をまったくなされていないのである。それゆえに、樋口氏の個人主義と和の思想の比較論は、はなはだ学問的価値に欠けるものとならざるを得なかったのである。たとえば、氏の和の理解は、「日本には日本のやり方がある。個人の尊厳より和が大事だ。そのほうが生きていてラクなんだ」(『日本憲法を読み直す』1994年講談社)といった程度のものである。

このような日本思想に対する無関心は、人権思想は「普遍的原理」であるから、それを受ける側の歴史や価値観や思想には関係なく無条件に受け入れるさせるべきだ、と西欧人のように考えておられるからに違いない。ところが、和の思想とはまさにそのような独善主義の問題に直面し、それを乗り越えたところに成立したものであるから、そういう姿勢を強めれば強めるほど、ほとんどの日本人にとって、人権思想はますます説得力を持たないものとなってしまうのである。日本人が和に価値を置くのは、「ラク」だからという理由ではなく、共同社会を運営するには、非寛容より寛容を、独善主義より衆議主義を、より大切なものと思ってきたからである。「人類普遍の原理」という看板を掲げる人権思想は、樋口氏の日本思想に対する態度に見られるように、人権思想を受け入れさせようとする側の立場しか頭になく、それを受け入れる側の立場にまったく無理解かつ無関心である。これが日本における人権思想の持つ第二の問題なのである。

さらに樋口氏は、作家の井上ひさし氏との対談のなかで、人権思想を受け入れないで「日本には日本のやり方がある」という日本人に対して、「それではいけない、もっと人間としてふさわしい生き方がある」(同上)と語られている。井上氏もそれに同意して「そこでぼくらの課題は、そういった世界の歴史からの贈り物 [人権思想] を身体にしみ込ませ、自分の本能にすること」が必要なのであると語られている。つまり、人権思想は人類普遍の原理なのだから、もし日本人がそれを嫌うのなら、好きになるように日本人の人格改善をしなければならない、というわけである。これは、靴が足に合わなければ、足の方をどうにかして靴に合わせろ、この靴のサイズは普遍的サイズなのだ、と言われているようなものであろう。

このような、人権思想による日本人人格改造論は、次のようなキリスト教神学者の北森嘉蔵氏の言葉ときわめてよく似ている。「神道、仏教によって育てられてきた特質をそのままのばして行けば大変なことになる。ここで一種の輸血と申しますか、新しい血を導入して体質改善をしなければならない。日本人の体質改善が行われなければ先が見えてくる」(『日本人と聖書』1995年教文館)。ここで言う「新しい血」とはもちろんキリスト教のことを指していることは言うまでもない。樋口氏らの人権思想による日本人人格改造論は、本質的に、日本キリスト教化運動と同質である。

個人主義とは、また人権思想とは、もともと、個人ひとりひとりの自由な選択や価値観を、生来の権利として、守るための思想ではなかったか。それが、どうして、日本に対してはこのように価値観を押しつける思想になってしまうのだろうか。この深刻な矛盾が日本における人権思想の第三の問題なのである。

このように、明治時代における植木枝盛の努力や、現代における樋口憲法論は、人権思想の内的矛盾が日本のような非キリスト教圏においてはきわめて深刻なものとなることを示している。


日本における人権思想の未来

果たして、人権思想、すなわち政治思想としての個人主義は、日本においてその基盤を確立することができるであろうか。おそらく、それは絶望的である。なぜか。

人権思想にとって致命的なのは、その正体が実は「人権神授説」であることにある。人権思想は超越神の存在を何らかの形で前提にしなければ成立しない。それは、キリスト教西欧社会のような、ある特殊な価値を文化の基調とする社会の内側でのみ、人権思想は「普遍」を装うことができることを意味している。したがって、日本人が本当に心の底から人権思想を日本に確立しようと思えば、先ず、第一になさねばならぬことは、日本人のキリスト教、あるいは他の一神教への国民的改心という大事業である。まさに、一人の神学者がいみじくも言ったように、キリスト教の血を輸血して、日本人の人格改造をしなければならないのである。これが大変な仕事であることは明らかであろう。人権思想を確立するために神様を信じましょう、というわけにはいかないからである。一人の人間がある宗教に改心するということ事態きわめて大変なのに、これを全国民的なレベルで成し遂げなければならないのである。しかも、西欧においてますます非キリスト教化が進んでいる最中に。ほぼ絶望的というべきであろう。

とすれば、超越神の存在を前提にしない人権思想というものを考え出さねばならない。これは、神が与えたから人間の権利は神聖である、とする人権思想から「神が与えたから」という前提を取り除いた後に、まだ、人権の権利の神聖さを主張することができるか、という問題である。これは、すでに見たように、晩年の植木枝盛が試みて、惨めにも失敗した仕事である。また、現在、人権思想擁護に積極的に取り組んでおられる憲法学者の樋口陽一氏が、かたくなに黙秘権を使用されている問題でもある。植木枝盛の失敗も樋口陽一氏の黙秘も、仕方がないことである。なぜなら、それは論理的に不可能だからである。いかなる人間の意見によっても、また全人類の満場一致の同意によっても否定できない、そういう絶対的権利を人間一人一人が生まれながらにして所有している、という考え方の背後には必ず人間を超越した権威が前提にされているのであるから、そういう超越的存在を否定して人権思想を成立させようとすることは、論理的に矛盾しており、したがって、そのような思想は成立不可能なのである。

人権思想が日本に確立されるためには、この二つの道しかない。キリスト教への全国民的な改宗か、それとも論理的矛盾の克服か。前者は不可能ではないが極めて困難に見える。後者は論理的矛盾であるから、まったく不可能である。したがって、人権思想が日本に確立される可能性は極めて困難か不可能である、という悲観的な結論にならざるを得ない。


和の思想の可能性

しかしながら、日本にとって幸運なのは、人権思想によって得られると今まで思っていたところのもの、つまり個性の尊重とか民主主義の確立とかが、おそらく、もっと無理のない方法で得られることである。つまり、和の思想によって、人権思想・個人主義の目標を達成することができるのである。「和の思想と個人主義」において明らかになったように、和が確立すれば、論議の場が可能となり、論議が可能となれば理による政治が実行できるという、和の思想の基本的構造は、まさに、個人の自由性と価値観の相対性を否定できない事実として認め、独善主義・独裁主義を否定し、共同体の合理的運営を目指す衆議の場を必要とする思想であった。それは、人権思想と同じく、個人を不当な攻撃から守ることを目的とし、民主主義の基本である、民意による共同体運営の決定機関を要請するものであった。

しかも、和の思想の依って立つ哲学的基盤は、人権思想の形而上学的、主観的、超越的なものと異なって、きわめて日常的、経験的、合理的であり、人権思想が、基本的にクリスチャン的信仰をすでに持っている者にしか納得できないのに対して、和の思想は人間の理性と経験に訴えるものであり、信仰や人種に関係なく、誰にとっても納得できるものなのである。つまり、わたしたちを心から納得させ得る根拠付けという、人権思想が日本において克服することのできない最大の問題問題が、和の思想においてはすでに解決されているのである。

さらに、和の思想は、あるがままの自分や他人を認めるところから出発する「多様性の原理」であるから、人権思想と違って、「普遍的原理」(神)という都合のよい名目で、自己の思想を他人に押しつけたり、人格改造(改心)をせまったりして、重い負担を人々にかけることもないのである。それどころか、和の思想はまさにそのような独善主義の深刻な問題に直面し、それを乗り越えたところに成立した思想であるから、その点において、人権思想より一歩進んだ思想なのである。

つまり、人権思想を拒否することによって日本が失うものは何もなく、人権思想の代わりに和の思想を土台にすることによって得るものは大きいのである。


結論

現在、「人権」という名で日本を徘徊しているものの正体は、内容のない「かけがえのない個人」だとか「個人の尊厳性」だとかいう、誰も反対できない美しいスローガンにすぎない。これは、キリスト教の神を受け入れる必要性も説かず、神なしに人権の超越性が成立するという論理も展開せず、日本人の情感に訴えて日本人の理性をごまかしているまやかしにすぎない。わたしたちは知性の目を開き、人権思想の正体を見極め、それが本当にわたしたちの心から納得できるものであるかどうか、じっくりと吟味する必要があるのである。そして、「普遍的原理」という大義を掲げて世界を西欧化しようとした20世紀のやり方が、はたして21世紀にも通用するのかどうか、考えてみるべきであろう。もしかしたら、西欧の「普遍的原理」の強制ではなく、和の思想の「多様性の原理」の受容こそが、21世紀の世界を導く原理となるかも知れないからである。