佐倉哲エッセイ集

日本と世界に関する

来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


内藤さんより

00年9月25日

勝手なお願い

 こんにちは、約半年前ホームページを読ませていただき、ビックリした内藤ともうします。佐倉さんのおしゃる「日本人の和」の考えには、驚きまた同感でした。なぜこのような合理的な考え方ができるのか不思議です。

 佐倉さんに刺激され、私もホームページを作ることにしました。ただ私は学識に乏しいので、佐倉さんにメールを出すのは恥ずかしい限りです。ホームページの始めに、佐倉さんに刺激されたことを書きたかったのですが、あまりにもレベルが違いすぎるので(もちろん、私が低すぎるので)書けませんでした。

 私は高校教員20年の経験があります。自分のテーマは「集団の輪」でした。「輪」と「和」は、自分勝手に同じものと考え、もしかして自分がやって来たことは、佐倉さんのおっしゃることと同じことではないか・・・と、これまた自分勝手に思っています。

 私自身が、教員のおかげで(?)非行少年の経歴があります。教員が嫌いで教員になった、バカな男のホームページであり、全く恥ずかしいのですが、ご覧いただければ幸いです。

 なお、まだ半分しか出来ていないのですが、書き終えたら、佐倉さんのホームページを紹介させていただきたいと思っています。自分勝手の連続で申し訳ないのですが、よろしくお願いします。

 宗教に関しては、「逃げ道」として使う知識人がいると思います。自分の発想に無理があると、「神」が出てくる人にかなり会いました。私自身メールを始めたのは昨年11月からですが、「神」を逃げ道として使う人は、某大学助教授を含めて3人いました。3人とも、「君たちの会は破滅する」と、同じ事を言ったのは不思議なことでした。残念ながら、私たちの会は破滅しないで、彼らの会が破滅したようです。いつの間にか、彼らのMLが消えていたのでした。「神」を持ち出すのは、「俺が主人公」の気持ちがあるからであり、他人は全て自分よりレベルが低いと思っているからでしょう。

 私のホームページ第16編「喫煙問題再検討」の最後の部分で、クリスチャンの母親から担任への手紙(担任が保護者に意見を求めた返事)を取り扱いました。この担任もクリスチャンだったのです。この結果、このクラスは崩壊してしまいます。キリスト教=絶対王政の証明だと思っています。結局「逃げ道」なんですね、「神」は。彼のクラスの子供たちが、彼の言うことを聞いてくれない・・・どうしたらいいか分からなくなったときに、クリスチャンの保護者からの手紙。飛びつくのも無理はないのでしょうか。私だったら、別の方法を具体的に考え、抽象論はお断りしますけど。他人の心を無理矢理こじ開けようとしても、なかなか開きません。

 勝手な事ばかり書き、申し訳ありませんでいた。




作者より内藤さんへ

00年10月15日

(1)ホームページ

佐倉さんに刺激され、私もホームページを作ることにしました。

わたしにとっては、なによりもうれしいお便りです。新しい日本は、お上(政府や官僚や天皇や米国)の指導によってではなく、巷のひとりひとりが、自らの意見を主張し、対話を始めるところから始まると思っています。


(2)学校問題

わたし自身は教育問題・学校問題には素人ですが、無関心ではいられません。ホームページは、驚きながら、読ませていただきました。たとえば、次の生徒の言葉が、内藤さんの学校問題への取り組み方の一片を見事に語っています。

卒業記念誌「未来・第一編(班学級日誌)より抜粋
 

朝のホームルームでしげおが学校を辞めたいということで、kyouji-k[先生]に、「なぜ、おめえ達に相談しないで、俺に相談してきたんだ」と、言われた。

僕も何か悩みがあったとき、友達より先生に相談したほうがよいと思ってしまうのではないだろうか?先生の方が頼りになるし、力になってくれると思うからだ。

それは、僕らは遊びだけの友達づきあいしか知らないからなんだと思った。友達とのつきあい方を少しずつ変える必要があるのではないか。


(3)「教員の輪」

「やる気のある教員」は大勢いるんです。でも、「やり方」が分からない教員が多いと思うんです。経験豊かな人の実践が、必ずしも優れているとは限りません。しかし、悪い実践でもいいんじゃないでしょうか。自分で判断して、自分なりの実践方法を創り出すヒントになるかもしれませんから。

「理論」なんかどうだっていいんじゃないでしょうか。教育は、「人間の感情」を切り離すことはできないと思うんです。子供たちが自分の力で、自分の未来を切り開く力をつけてくれればいいと思います。

そのためには、「教員の輪」を作ることが絶対に必要だと思います。

困難な学校問題に対面して、あきらめてしまう教員たち、一人で頑張って頑張って疲れ果ててしまう教員たち --- おそらくこの二つのタイプが大多数を占めると思われるなかで、個々の力の限界を素直に認めて、「教員の輪」を作って対応しようとする試みには、新しい可能性が感じられます。それは、本当は、新しい方法などではなく、人類を生存せしめてきた古い知恵だとも考えられます。

また、ゆっくりホームページを読ませていただきます。ますますのご活躍を期待します。

おたより、ありがとうございました。