さくらさんへ
はじめまして、越塚義人と申します。さくらさんのホームページをざっとみて、感想を書きます。私があなたのホームページをたまたま見つけたのは、仏教で良く言われていることと、聖書の共通点はなんだろうかと考え、いろいろな意見を探していたからです。
私が共通点を探そうと思ったのは、確か聖書の中に、「裁くなかれ」という部分が有り、それと、仏教で言う「因果応報」、それから、たとえの中に、もともとは多分中国からの「天に唾す」ということばが、だいたい同じ意味にとれたからなのです。
聖書や仏典から学ぶと言うことは、細かい文章の真偽とか、無理にもとれる解釈をすることではないのではないかと思っています。
私は、聖書や仏典をもっと大きな視点から捉えると、どちらもそのエッセンスみたいなものは、共通していると思うのです。その共通した部分に気がつくほうが、聖書や仏典を諳んじられることや、細かい解釈が出来ることより大切なのではないかと思います。
できるかどうかは分かりませんが、ライフワークとして、聖書と仏典の対訳(意訳になりますが)をやってみたいのです。でもなかなか聖書と仏典のエッセンスに精通しているとか、両方を私のような視点で研究している人が見当たりません。
もし、こんなやりとりから始まって、いろいろな人から意見がもらえるといいのですが、半分は、上に書いたみたいにそんなに偉そうな事をいっても、自分はたいしたことしてないんだし、非難轟轟でも仕方ないかと思いつつ、こんな意見はどうでしょうか。同調、非難、いろいろと有ると思いますが、なしのつぶてよりはいいか、という感じで、ご返事待ってますので、どうぞよろしくお願いします。
spec@m1.interq.or.jp
越塚義人
どういう根拠で、
聖書や仏典をもっと大きな視点から捉えると、どちらもそのエッセンスみたいなものは、共通している・・・と思われるようになられたのでしょうか。というのは、聖書で重要であると考えられているものは、仏典では重要ではなく、仏典で重要であると考えられているところのものは聖書では重要ではない、ということもあるからです。つまり、この二つを、「共通点」という網ですくい上げると、大切なところは抜け落ちてしまい、それぞれのカスしか残らない、という事態も十分あり得るからです。「エッセンスみたいなものは、共通している」という前提を押し通すことは、共通していない部分は無視されたり、共通するように無理な解釈をほどこしたりすることになり、結局、両方とも誤解してしまう結果にもなりかねません。
したがって、そのようなお仕事が成功するためには、「エッセンスみたいなものは、共通している」(共通していないものはどちらにとっても重要ではない)という前提を、十分に説得力のある形で確立させることがまず必要ではないかと思います。