佐倉さん、こんにちは。

以前、問題とした聖句(「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」)ですが、以下の通り写本によって記述がバラバラです。とても聖霊が働いたとは思えません。

マタイとの対応句も同じものがあります。 D写本の「BA」は欠落したのでは。

推定成立世紀を付記してみました。 時代や解釈により、また例えばマルコの間抜けなギリシャ語に我慢が ならなかったのか改竄されています。

こうなると単なる間違いではなく意図した書き換えであるとすること ができるでしょう。

「マルコによる福音書15.34」
ΕΛΩΙΕΛΩΙΛΕΜΑΣΑΒΧΘΑΝΙ

ΗΛΙΗΛΙ          D(5) Θ(9) 059(4/5) 565(9)

ΛΑΜΑΣΑΒΑΧΘΑΝΙ   Θ(9) 059(4/5) 565(9)
ΛΑΜΑΖΑΒΑΦΘΑΝΙ   B(4)
ΛΑΜΑΖΑΦΘΑΝΙ     D(5)
ΛΙΜΑΣΑΒΑΧΘΑΝΙ*  13(13) 33(9)
ΛΙΜΑΣΑΒΑΚΤΑΝΙ   A(5)
ΛΕΜΑΣΑΒΑΚΤΑΝΙ   C(5) L(8) Δ(9) Ψ(9/10)

*(λιμα σαβαχθανι)

「マタイによる福音書27.46」
ΗΛΙΗΛΙΛΕΜΑΣΑΒΧΘΑΝΙ

ΕΛΩΙΕΛΩΙ        アレフ(4) B(4) 33(9)
                A(5) D(5) W(5) Θ(9) 1(12)13(13)

ΛΑΜΑΣΑΒΑΚΤΑΝΕΙ  B(4)
ΛΑΜΑΖΑΦΘΑΝΙ     D(5)


主な写本所在地

アレフとA  大英博物館(シナイ写本とアレクサンドリア写本)
B     ローマ、ヴァチカン図書館(ヴァチカン写本)
CとL   パリ、国立図書館(エフラエム写本、レギウス写本)
D     ケンブリッジ、大学図書館(ベザ写本)
W     ワシントン、スミソニアン(フリーア写本)
Δ     ザンクトガレン
Θ     トビリシ(コリデティ写本)
059     ヴィーン
1          バーゼル
13と33  パリ、国立図書館
  


いかに聖書の記述・伝達というものが人間的な営みであったかがよくわかります。

写本の不完全性、翻訳の不完全性、歴史的誤謬、論理的誤謬・・・聖書に関するこれらの事実は、「それを記述・伝達してきた人間の様々な不完全性にもかかわらず、わたしたちに伝えられた聖書の背後には聖霊が働いていた」という主張が間違っていることを示すものです。

聖書の記述は、神からのメッセージなどではなく、古代の人々が抱いていた神や人に関する、きわめて人間的な信念の表明に過ぎないことが、ますます明らかになりつつあります。

貴重な資料、ありがとうございました。