一般に、ヨセフ物語全体の資料としてはJ資料とE資料とすこしばかりのP資料が認められていますが、いまわたしが取り上げた部分はJ資料とE資料からなるものとされています。
どんな仮説を適用したかが述べられているにすぎません。 二つの資料を使ったのでミデヤン人とイシュマエル人が混同されているという「根拠」ではありません。


まず第一に、(i)であきらかなように、ヨセフの兄弟のひとりルーベンが穴に来てみると、ヨセフ がいないことに気がつき、おどろいて、他の兄弟たちのところに報告に帰ります。これは、ヨセフを 穴から引き出したのは、ヨセフの兄弟たちではないことを意味しています。自分たちがヨセフを引き 出しておいて、穴が空であったことに驚いたり、その報告を受けたりするはずがないからです。つま り、<彼ら>をヨセフの兄弟たちとすると、前後のつじつまが合わなくなるのです。
ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかったというだけではありませんか? 後日兄弟達が人質をとられ、末の弟を連れて来いとヨセフに言われたとき、ルベンは「それなのにあなたがたは聞き入れなかった。」(42:22)と他の兄弟達をせめています。兄弟達がヨセフを売り、ルベンはそこにいなかったからではありませんか?


たとえば、NRSVだけでなくNIVでさえ、その部分は、カッコのなかに入れて、本来のテキストにはなかったもの(後代の挿入)と解釈しています。
士師記8章24節の訳のかっこ書きが「後代の挿入」というのは確かなことでしょうか? (1)かっこ書きについて分かりませんでしたので、いくつかの聖書についてしらべましたが「後代の挿入」は疑問です。 (2)「本来のテキストにはなかったもの(後代の挿入)」というのは写本による伝承に頼らない旧約聖書になじまないと思われます。 (3)士師記8章24節の問題の箇所が七十人訳聖書にあり、BC3世紀中頃にはこのテキストがあったことになります。 (4)もし「後代の挿入」であればBC250年以前に遡らなければなりませんが、いかなる根拠があるのでしょうか? 現時点では、死海文書のイザヤ書などの写本が最古と思われます。 (5)仮に「挿入」であっても、そのように古い起源をもつ「挿入」をなぜ無視できるのでしょうか。


士師記(8:24)は、ミディアン人とイシュマエル人の特別の関係を証明するものではなく、聖書の記述がさまざまな混乱を含んでいることを示す、もうひとつの例となっているのです。
貴重な古代の証言を、予断によって検証せずに無視しているにすぎません。 士師記8:24は、「彼ら(ミデヤン人)はイシュマエル人であった」と明確に記述しています。

ヨセフスは「古代史」でどのように解釈しているか調べたところ、次のように言っています。

「古代史」第2巻3章3 出所 http://wesley.nnc.edu/josephus/
But Judas, being one of Jacob's sons also, seeing some Arabians, of the posterity of Ismael, carrying spices and Syrian wares out of the land of Gilead to the Egyptians, after Rubel was gone, advised his brethren to draw Joseph out of the pit, and sell him to the Arabians; for if he should die among strangers a great way off, they should be freed from this barbarous action. This, therefore, was resolved on; so they drew Joseph up out of the pit, and sold him to the merchants for twenty pounds (2) He was now seventeen years old. But Reubel, coming in the night-time to the pit, resolved to save Joseph, without the privity of his brethren; and when, upon his calling to him, he made no answer, he was afraid that they had destroyed him after he was gone; of which he complained to his brethren; but when they had told him what they had done, Reubel left off his mourning.

(英訳の要約)
ユダはエジプトに商売に行くイシュマエルの子孫のアラビア人を見た。ルベンがいなくなってからユダの指図でヨセフを穴から出しアラビア人に売った。ヨセフが遠くの見知らぬ地で死んだら兄弟達はこの非道の責任を問われない。それで決心してヨセフを引き上げ20枚で商人に売った。ルベンは、夜、穴に来たが、兄弟に内緒でヨセフを助けようと決心した。ヨセフを呼んだが答えがないので兄弟達がルベンのいない間に殺してしまったと思い、そう兄弟達に抗議した。兄弟達が何をしたか言ったとき悲嘆して去った。

ヨセフスはミデヤン人とイシュマエル人に困難を感じていないようです。ミデヤン人をアラビヤ人とし、アラビヤ人はイシマエルの子孫だと言っています。

ミデヤンの地は紅海近くのアラビヤ北部にあり、ミデヤン人がアラビヤの実質的支配者でした。士師記の記述から、ミデヤンの地には王国のようなものが形成されていたように思われます。Easton Bible DictionaryのMidianiteの説明にはつぎのようにあります。

Midianite an Arabian tribe descended from Midian. They inhabited principally the desert north of the peninsula of Arabia. The peninsula of Sinai was the pasture-ground for their flocks. They were virtually the rulers of Arabia, being the dominant tribe. Like all Arabians, they were a nomad people. They early engaged in commercial pursuits. It was to one of their caravans that Joseph was sold (Ge 37:28,36)
一方、ヨセフスはアラビア人はイシュマエルの子孫だと言っています。イシュマエル人はミデヤン人とは対照的にアラビアの多くの部族となり、町をつくり、アラビア各地に広がりました。従って、ミデヤンの地にイシュマエル人がいても不思議はありません。「イシュマエルの地」は存在しないようです。Easton Bible DictionaryのIshmaelの説明にはつぎのようにあります。
He had twelve sons, who became the founders of so many Arab tribes or colonies, the Ishmaelites, who spread over the wide desert spaces of Northern Arabia from the Red Sea to the Euphrates (Ge 37:25,27,28,39:1) "their hand against every man, and every man's hand against them."
(恐らくもっと詳しい研究があると思いますが、現時点では参照できませんので、後日何か分かりましたら追加します。)

「ミデヤン人」は部族名と硬く信じておられるようですが、「ミデヤニーム」は「ミデヤン」の複数形であり、部族名としても「ミデヤンの地」の住民としても使われます。日本語では、「人」と訳されますが、口語訳の「パリサイ人」(プルシーム)が民族をあらわさないように、ある集団を意味し、民族や部族とは限りません。

ミデヤニームの支配者層はイシュマエル人であり、後にアラビア人と呼ばれたということではないでしょうか?

ミデヤン人が事件として出てくるのは士師記までの時代で、入れ替わるかのように歴代誌以後、アラビアという語が聖書の中に出てきます。(ミデヤン人またはミデヤンの地という言葉が歴代誌が描く時代以降現れる箇所は、1歴代1:46とハバクク3:7です。)


聖書をふつうに読んでいれば、この二つの記述が矛盾していると感じるのはあたりまえです。ところが、聖書には矛盾はないという先入観を持って読めば、これをなんとか調和させようという意識が働くのでしょう。
私の持っている「イスラエル」というガイドブックには、最初に「嘆きの壁はユダヤ人の心の支え」という記事があります。「イスラエルなのにどうしてユダヤ人だ、矛盾している」と、問う人は少ないでしょう。このガイドブックを「調和」させる必要はありません。ヘロデ王はイドマヤ人ということですが、イドマヤの語源はエドム人の地だそうですがイドマヤ人はアラビア・ナバテ族に取って変わられています。

二つの表現が、ときに区別されときに区別されない現象は、そこに至る経緯と内容は違いますが、現代でもあります。使っている本人達は自然に使い分けているのです。しかし、本人は正確な使い分けのルールを説明できないかも知れません。例えば、韓国人、朝鮮人とある意味合いをもって使い分けられますが、同じ民族を表しているのです。両者を併記している本は、1000年ぐらいしたら、すぐに理解されないかもしれません。 旧約聖書は数千年前の古文書です、現代の常識を当てはめて「ふつうに」読むことはできません。


使徒行伝などにあるヨセフに関する記述と矛盾することになります。
使徒行伝は、創世記が期待している読み方をヨセフスと同じように取っているだけです。この人達が近代の研究者の意見に従っていたら、むしろ驚きです。この創世記の問題と使徒行伝は関係ないことです。問題は、創世記のヨセフ物語の記述に矛盾があるかどうかだったはずです。


整理しますと、

(1) 創世記は、なぜヨセフやユダヤ人がエジプトへ行ったかを説明しようとしている。 創世記は「ヨセフの兄弟達がヨセフを売った」のをヨセフが兄弟達に会う物語の前提としている。(「ヨセフの兄弟達がヨセフを売った」は創世記が言いたいことであり、「矛盾」だとかないとかいう問題ではありません。「ミデヤン人とイシュマエル人が混在しているので物語に矛盾がある」ということと混同されているのではありませんか。)

(2) ミデヤニームは部族というよりミデヤンの住民または地域を、イシュマエリームは部族を表すと考えれば、2つが併記されていても不思議はない。この考えは、士師記8:24の記事とヨセフスの解釈に一致する。 更に、当時のミデヤニームとイシュマエリームの関係という方向に問題が収束する。(最終的には実証的な検証の対象となりうる。)

一方、「J資料とE資料」2文書仮説を導入した場合、

(1) 創世記を書いた人は数十秒前に書いたことと矛盾する資料を、織り交ぜるような巧みな方法で自分でも何が何だか意味が分からないが混合した。これを読んだり聞いた人もよく分からなかった。にもかかわらずヨセフがエジプトへ行く理由を説明する重要な場面である。

(2) しかし、依然、創世記のヨセフ物語の意図は明瞭であったので、ヨセフスやパウロは独自に同じ結論に達したということになる。なぜ創世記の記者はヨセフ物語の目的に合う資料のみを選ばなかったのでしょうか?

民族に関する問題が絡んでいるのに、聖書のテキストだけで「矛盾」しているとかいないとか議論するのは本来限界があるのではないでしょうか?それから、何度でも言うようですが新共同訳は、このような言葉にこだわる場合は不適当な翻訳です。


(1)二資料説

どんな仮説を適用したかが述べられているにすぎません。二つの資料を使ったのでミデヤン人とイシュマエル人が混同されているという「根拠」ではありません。
ミデヤン人とイシュマエル人が混同されていることの一つの可能的な説明として二資料説が現代聖書学者たちによって主張されている、という事実をわたしは本論で述べたのです。わたしはそれを説得力のあるものであると思っていますが、わたしが二資料説を主張しているのでもなく、また、わたしの主張が二資料説を根拠に成立しているのでもありません。したがって、このことに関する「根拠云々」のわたしへのご質問は的外れなのです。だから、先回は、わたしが本論で言及した「二つの伝承」とはJ資料とE資料である、という説明を加えました。JEDP資料説については膨大な文献が巷に存在していて一般によく知られているからです。


(2)「ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった」?

「ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった」という主張は、ヨセフ問題を調和させるための定石として「ファンダメンタリスト」と呼ばれるひとたちによって、たびたび使われてきたものですが、まったく聖書に根拠がありません。「ヨセフの兄弟たちが直接ヨセフを売った」という、ヨセフ売りの物語自体にはない主張を、聖書の他の箇所と調和させるために主張されているがために、結果として、ルベンが穴に戻ったときヨセフがいなくなって驚くという聖書の記述(創世記37:29)と矛盾するようになってしまったわけです。そのために、この新しい矛盾を調和させるために、今度は、「ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった」という聖書にない事柄をもうひとつつけ加えなければならなくなったのです。

一つの矛盾を調和化せるために持ち込んだ新説が、別の矛盾を生む結果となってしまったので、その矛盾を調和化させるために、更なる新説が持ち込まれているのです。ヨセフスの解釈を参照にされていますが、ヨセフスは聖書のさまざまな矛盾を調和化した学者として知られています(Roger T. Beckwith, "Formation of the Hebrew Bible", Mikra, p65)。鈴木さんも、「ルベンはそこにいなかったからではありませんか?」というふうに、疑問文で語りかけておられますが、そのようなことは、実は、聖書にはまったくない主張であるために、断定ができないのではないですか。

また、

後日兄弟達が人質をとられ、末の弟を連れて来いとヨセフに言われたとき、ルベンは「それなのにあなたがたは聞き入れなかった。」(42:22)と他の兄弟達をせめています。
ということが、あたかも根拠らしく述べられていますが、一体どのような論理的手続きを持って、このことから、
ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった
という結論を導出されたのですか。

もし、ルベンが本当にそこにいなかったのなら、なぜ、「ヨセフがエジプトへ行く理由を説明する重要な場面である」にもかかわらず、そんな大事なことがそこに書かれていないのでしょうか。聖書の他の箇所でも、「兄弟たち」がヨセフを売ったことは記述してあっても、ルベンがそれに加わらなかったことなど、どこにも記述されていません。

では、聖書のどこにも書かれてもいない、「ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった」という主張は、一体、どこから来たのでしょうか。それは、だれがそのような主張をしているかを調べることによって明らかになります。すでに、ヨセフスを例に挙げられましたが、エホバの証人もその例としてあげることができます。

ユダはルベンがいない間に他の兄弟たちに、ヨセフを殺すよりもその通りすがりの商人たちに売った方がよいと言って説得しました。(『洞察』第二巻、p1099)
また、The Living Bible は次のように「翻訳」しています。
[Ruben] was away when the traders came by (37:29)
隊商がやってきたときルベンはそこにいなかった
その他にもありますが、ヨセフスとエホバの証人とThe Living Bibleの共通点は何でしょうか。いうまでもなく、矛盾がないように聖書解釈に工夫をこらすことです。つまり、この「聖書には矛盾があってはならない」という先入観が、聖書のどこにも書かれていない「ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった」という勝手な筋書きを、聖書解釈に持ち込んだのです。


(3)ミディアン人の部族

ミディアン人とイシュマエル人が同族であるという(考古学的にも聖書的にもまったく根拠のない)主張をしようとされているために、ミディアン人は必ずしも「部族」ではない、と言われているのでしょうが、鈴木さんが引用された、Easton Bible DictionaryのMidianiteも

Midianite an Arabian tribe descended from Midian.

と語っているように、ミディアン人は「アラブの中のひとつの部族」として理解されています。わたしの手元にあるInerpreter's One Volume Commentary も、「Midian tribe(ミディアン部族)」(p367)と語っています。次に示すように、聖書の記録する系図によれば、ミディアン人とイシュマエル人は明確に区別されているし、また、そのように聖書では別々に取り扱われているからです。


(4)イシュマエル人とミディアン人

イザヤ書60章には、イスラエルの都エルサレムの栄光の到来が語られていますが、そのなかで、「国々の富」がこの都に集まるであろう、という希望が語られています。

国々の富はあなたのもとに集まる。
らくだの大群
ミディアンとエファの若いらくだが
あなたのもとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えてくる。
こうして、主の栄誉が述べられる。
ケダルの羊の群はすべて集められ
ネバヨトの雄羊もあなたに用いられ
わたしの祭壇にささげられ、受け入れられる。
わたしはわが家の輝きに、輝きを加える。
・・・ (イザヤ60:5b-7)
創世記25章によれば、エファはミディアンの子孫、シェバはヨクシャンの子孫、ケダルとネバヨトはイシュマエルの子孫です。これを図に書けば次のようになります。
アブラハム ─┬─ サラ(妻)
      イサク
       │
     イスラエル(ヤコブ)
  ┌┬┬┬┬┼┬┬┬┬┐
   イスラエル12部族


アブラハム ─┬─ ケトラ(後妻・そばめ)
   ┌───┴───┐
 ヨクシャン  ミディアン
   │       │
  シェバ     エファ


アブラハム ─┬─ ハガル(女奴隷エジプト人)
    イシュマエル
   ┌───┴───┐
 ネバヨト     ケダル      

血統的に言えば、イスラエル人とミディアン人とイシュマエル人は、みんなアブラハムの子孫ですが、「イスラエル人」はアブラハムとその正妻サラとの間に生まれたイサクの子ヤコブの子孫であり、「ミディアン人」とは、アブラハムの後妻となったそばめケトラとの間に生まれた子ミディアンの子孫であり、「イシュマエル人」とは、アブラハムと女奴隷ハガルとの間に生まれたイシュマエルの子孫のことです。

聖書がこのように明確にミディアン人とイシュマエル人を区別しているからこそ、イザヤ書も、エファ(ミディアンの子孫)の特産物である「らくだ」や、シェバ(ヨクシャンの子孫)の特産物である黄金と乳香や、ネバヨトとケダル(イシュマエルの子孫)の特産物である「羊」や「雄羊」などを、やがてエルサレムに集まってくる「国々の富」として数え上げることができたわけです。つまり、ミディアン人とイシュマエル人が異なったひとびとであるという認識が、イザヤ書の60章の前提となっています。

ご指摘のとおり、ずっと後代になると、ミディアン人やイシュマエル人への言及はなくなり、非イスラエル系のアブラハムの子孫は、しばしばアラブ人と呼ばれるようになりますが、この事実は、士師記(8:24)の記述(NRSVやNIVなどの現代語訳聖書がかっこのなかに入れざるを得なかった問題の箇所)においてミディアン人とイシュマエル人が混同されている部分を「後代の挿入」とする仮説の傍証となります。創世記25章の系図によれば、ヨセフとその兄弟たちはアブラハムのひ孫ですから、ミディアンもイシュマエルも、ヨセフたちの父ヤコブにとっては、叔父にあたります。したがって、ヨセフとその兄弟の時代に、ミディアンの子孫とイシュマエルの子孫を同一視するのは、どう見ても、時代錯誤(後代の挿入)と言わねばなりません。


(5)調和化

創世記を書いた人は数十秒前に書いたことと矛盾する資料を、織り交ぜるような巧みな方法で自分でも何が何だか意味が分からないが混合した。
誤解しておられるようですので、繰り返して説明しますが、わたしの本論を読んでいただければ明らかなように、わたしは現代の聖書批評学が二資料説によって矛盾を説明していることを紹介しただけであって、わたしが二資料説を主張しているのではありません。また、二資料説を根拠にわたしの主張が成り立っているのでもありません。そうではなく、わたしの主張は、ヨセフ物語を普通に読めば、つまり、どこにも書いてもない「ヨセフが売られたときルベンはそこにいなかった」などという主張を勝手に付け足さないで、書いてあるものをそのまま読めば、ヨセフをイシュマエル人に売ったのはミディアン人であり、しかも、それで、この物語はそれ自体としてはそれなりに筋の通ったものとなるのです。しかし、それは、聖書の別のところに書かれている記述と矛盾することとなっている、と主張しているのです。それがわたしの主張です。

そして、そういうわたしの主張は、現代聖書批評学の二資料説(エジプトにヨセフを売ったのはイシュマエル人だという伝承とミディアン人であるという伝承の矛盾する二つの資料があり、わたしたちに伝わってきたこのヨセフ物語はそれらを巧妙に調和化したものであるという主張)とうまくかみ合っているために、それを紹介したまでです。

たとえば、この物語を、兄弟たちはヨセフを穴に入れたが、イシュマエル人にヨセフを売りつけたのはそこを通りかかったミディアン人である、と読めば、イシュマエル人の係わりの伝承も、ミディアン人の係わりの伝承も、どちらも否定することなく、しかも、兄弟たちの道義的な責任(ヨセフがエジプトに売られた責任)も無視することなく、この物語を全体としてそれなりに筋の通ったものとして読むことができます。つまり、これは矛盾した資料のとても巧妙な調和化であった、ということになります。


(6)結論

以上見たように、

ヨセフが売られたときに、ルベンがそこにいなかった
という主張も、
「ミデヤン人」というと、その中に「イシュマエル人」が含まれる
という主張も、また、
ミデヤニームは部族というよりミデヤンの住民または地域
という主張も、聖書にその根拠がないだけでなく、むしろ聖書の記述に反する主張であると思われます。それらは、ただ、聖書の矛盾を調和するために持ち込まれた、無理の多い主観的な主張に過ぎないと思われます。そのために、一つの矛盾を調和させるための無理な主張が、別の矛盾を生み、それを調和させるために、また他の無理な主張をするような、あやうい構造がここに展開されているように思われます。