始めまして、宮城と申します。大変面白い発想のホームページでした。

ところで、聖書については(キリスト教)については、その昔理由はともあれ、キ リストをだしにして、後世の人々が自分たちの思想を打ち出すためのものだったので はと、思ったりしていますが、どうでしょうか。

西洋の哲学史の世界でも、中国の国家権力の興隆をみても、結局同じような構造が あるような気がするのですが。

大きな問題を提起されました。僕の手にはとうてい負えない問題ですが、宗教と民族の関係からヒントを得ることが出来るかも知れません。宗教と民族の関係における影響は相互的で、宗教はそれを受け入れた民族に大きな影響を与えますが、宗教自体もその民族によって影響を被り変化します。それはインドにおける仏教、中国に於ける仏教、日本における仏教、などを比較するとよく分かります。仏教はそれぞれの民族に大きな影響を与えただけでなく、仏教自体も変わっていきました。禅は中国の影響を無視しては考えることができないし、浄土の思想も日本の影響を無視しては考えることができないでしょう。

もし仏教をブッダという一人の人の思想であると定義すると、おそらく浄土思想は仏教ではありません。しかし、仏教をブッダが蒔いた思想の種子から繁殖したすべてのものと定義すると、浄土思想が仏教であることを否定することはできません。その場合、法然や親鸞が「自分たちの思想を打ち出すために」ブッダの教えを単に利用しただけかなのかどうか、僕にはわかりませんが、法然や親鸞はそれぞれ問題を抱えていて、伝統の中から新しい仏教を生むことによって解決を見つけだしたのだ、ということは言えるのではないかと思います。

それは、キリスト教においても同じだと思います。もし、キリスト教をイエスの教えであると定義すれば、新約聖書はおそらくキリスト教ではありません。新約聖書は弟子や弟子の弟子たちのイエスに関する信仰に過ぎないからです。おそらく、イエスの教えにおいては信仰の対象は神だけであったのに、弟子たちがイエス自身を信仰の対象に祭り上げることによって出来たのがキリスト教です。またそのようにイエスを信仰の対象にした弟子たちの書いたものを信仰の対象にしたのが、聖書にはいかなる誤謬も含まれないと信じる「キリスト教原理主義者」です。しかし、その場合でも、彼らが「自分たちの思想を打ち出すために」イエスの教えや弟子たちの書いたことを単に利用しただけなのかどうか、僕にはわかりません。ただ、彼らはそれぞれ問題を抱えていて、イエスや聖書を信仰の対象に転換することによってその解決を見つけだしたのだ、と僕は思います。

ただ、仏教では、後代に発展した思想(たとえば大乗仏典)が初期の教えとは違うことを公然と認めますが、キリスト教では、「私の信仰=キリスト教=聖書の教え=イエスの教え=神の教え」というふうに思いたがる傾向が非常に強いようです。

大変興味深い問題提起、ありがとうございました。 P>