初めまして。 白根茂稔と申します。

「聖書の間違い」及び岡野なおみさんの「聖書の間違いを批判する」を読ませて頂いた感 想を述べさせて頂きたいと思います。

私の感想としては、佐倉氏の言っておられる事は、「無原則に聖書もしくは聖典と呼 ばれるものを信じる事は、そこに書かれている事の本質を信じる事にはならない」と 言っているような気がしてなりません。

それに対する岡野氏の反論の大半は的を得ていないように感じますし、また岡野氏自 身が自分の考えは変わらないと頑なな態度で有るため、本質的な反論にもなっていな いような気がします。

私自身は、神<現在ある宗教の枠に収まらない物ですが>を信じていますが、宗教( 神)に関する書物に関しては、元々懐疑的な人間です。

それは、佐倉氏が「聖書の間違い」で述べられているような部分や、私自身の善悪に対 する考え方(価値判断の基準)からきている物です。

私は、全ての物事は相対的であり「唯一絶対の真理などは無いのではないか?」と考え ております。 なぜならば、悪は滅びるべき存在としてまた常に神と対立する物としての悪を規定 したのは神であると言う一点において、私はそれらの書を疑っているのです。

こんな私がなぜ神を信じているかと言えば、神とは人間の愚かしさの救い道もしくは 人の原罪に対する救済であると考えているからです。

この様な考えからしてみると、一部の人々に見られる様な「盲目的な聖書主義」(教典 主義)的な考え方をすることは、人間の愚かさの象徴ではないかと考ると共に、こう 言った愚かさを認める事こそが本来の宗教の役目では無かったのかと考えてしまいま す。

感想と言うよりは、私の宗教観になってしまいましたが、これが私の本音です。

願わくば気分を害されることの無い様に祈ります。

1996年7月17日                      白根 茂稔

僕の気分など害してもいいから、皆さんにご意見を述べていただきたいと思います。僕の経験によれば、次の二つのことを守れば、異論・反論はどんなに激しくても、結局良い結果を生みます。

	第一に、意見を攻撃し、人格を攻撃しないこと。
	第二に、討論の目的に添った意見を述べること。
です。もう一つ加えれば、勝つためにではなく、真理に近づくため(自分が真理であると信じていることがらの中から、間違いを少しでも取り除くため)に批判しあうこと、でしょうか。

大変興味深い、ご意見、ありがとうございました。基本的には、白根さんの宗教観に同意です。ただ、僕には、「絶対の真理などは無い」とは言い切れません。もしかしたら、絶対的真理があって、僕はそれを知らないだけかも知れないからです。