キリスト教のいやなところは、 他を認めようとしないところです。 キリスト教以外の宗教をサタンの宗教とか 偶像崇拝とか 傷つけるようなことばかりいいます。
このまえうちの教会(ファンダメンタリズムです) で、あるお寺の重要文化財の仏像が放火されたのを みて、よかったですね、偶像は破壊されるべきですね 、といってたひとがいました。
住職のひとは死なんばかりに苦しんだ はずだよ?拝観料とるための見学の名物が なくなって経済大変だよ? あなたはなにものですか。そこまで自分の 宗教に固着しているのですか、と怒りをかくしきれませんでした。 宗教というものはここまでひとを偏狭にしてしまうものなのか、 と慄然としました。
ほかにもそのひとはこんな事をいいました。 精神病はキリストを信じれば80%治る、というものでした。 彼女によれば、精神病はひとに愛されなかった事に因り、 キリストの愛は愛をみたすから80%治る、というものでした。 心の病気にたいする全くの無知がなせる技です。 脳の生理学的な原因がなければどんなにストレスが かさんでも愛されなくても精神病にはなりません。 心の病気はまったくといっていいほど脳の病気なのです。
じゃあ、あなたが80%治してください、 まあ、キリストの信仰は 病を癒すのでしょうからね、あなたは医者でもないのに よくそんなことがいえますね、と言いたくなりました。
キリスト教の信仰は人をこうも偏狭にしてしまうのですか。 まるきりほかが見えない人達。 ぼくが通っているところが保守的で いまだに逐語霊感説を採用しているところだからでしょうか。僕は悲しく なります。
仏教やゲーテやトルストイに 命を賭けている人はみんな無駄足ですか。 中村元さんや原久一朗さんはむだなことを してなくなってさばきですか。こんな教義は 人を傲慢にさせ、無頓着にさせるだけです。 キリストとベリアルにはなんの調和もないんですね。
たとえキリスト教によって幸せになったとしても、 僕はそんな幸せはいらないですよ。 人の矛盾や痛みを苦しんでいたほうがまだ 人間らしいですよ。
キリスト教のいやなところは、 他を認めようとしないところです。
おそらく、それがいままでのキリスト教の一番おおきな問題点でしょう。
しかし、現代では、少しずつ他の宗教を認めるクリスチャンの出ているようです。すなわち、イエスをキリストと認めなければ救われないというドグマやその他のキリスト教のドグマを絶対化しない教会も出てきている様です。しかし、まだまだ、そのような動きは前途多難なようです。近年カトリックの神父さんのなかにはマリアの処女受胎の物語は認められないと発表したおかげで、破門になったお方もおられます。