このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年4月27日
創世記2章は新たな創造の記事ではなく、文脈から見て1章のことについて詳しく書かれている。と理解するほうが自然だと思います。
00年4月29日
創世記2章は新たな創造の記事ではなく、文脈から見て1章のことについて詳しく書かれている。と理解するほうが自然だと思います。
これは、わたしの「天地創造物語の矛盾(1):創造順序の矛盾」への反論と思いますが、実は、ファンダメンタリストたちの間で昔から回覧されている古い、そして説得力のない弁明です。それをそのま鵜呑みにされているようですが、いったいどの文脈がどうなっているから、その理解のほうが「自然」だ、と考えられているのか、くわしく説明していただけたらさいわいです。
わたしは、創世記の一章と二章の創造物語が、別の時代の別の作者による二つの異なった創造物語(P資料とE資料)を後代の編者が結びつけたものであることの理由として、(ア)内容が矛盾していること、たとえば、創造順序が違う、(イ)言語が違うこと、たとえば、神の呼び方が違う、そして、(ウ)神観が違うこと、たとえば、一方は人間のようにふるまいで他方は超人的に振る舞う、などをあげました。これらは、現代聖書学の常識であって、わたしの発見でもなければ、特別な意見でもありません。
おたより、ありがとうございました。