このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年4月7日
最近急に聖書に興味を持ち出しました。ところが、読んでみると、たった数ページですでに、多くの疑問点が出てきました。
創世記第一章26節の神の言葉は「われわれ」という代名詞を使っています。神と同格の存在がいないかぎり、ふさわしくない代名詞です。(日本語訳の物だったせいかも)
また、創世記第六章にで神の子が人間の女に子を生ませる話がありますが、ここでいう神の子とは?その子達は?
ノアの子供達とそれぞれの妻以外生き残っていないはずなのに、カインの子孫がなぜ、家畜を飼うものや琴や笛を吹くもののすべての、先祖足り得るのでしょうか?
ご返答お待ちしてます。
00年4月9日
(1)「われわれ」という代名詞
創世記第一章26節の神の言葉は「われわれ」という代名詞を使っています。神と同格の存在がいないかぎり、ふさわしくない代名詞です・・・このことについては、「作者よりsamtsumiさんへ」を参照してください。
(2)神の子が人間の女に子を生ませる話
創世記第六章にで神の子が人間の女に子を生ませる話がありますが・・・・この話は聖書の中でももっともグロテスクなもので、おそらく、キリスト教会の礼拝や説教のなかで取り扱われることはほとんどないだろうと想像します。クリスチャンとしては、こんな変な話は聖書の中にあって欲しくない、そんな物語だと思います。
教義的には一応、この「神の子」と呼ばれる存在は「御使い(天使)」と解釈されていますが、イスラエルの宗教の母体となった多神教的古代メソポタミアの古い物語の遺産だとも考えられます。
(3)カインの子孫
カインの子孫がなぜ、家畜を飼うものや琴や笛を吹くもののすべての、先祖足り得るのでしょうか?おっしゃるとおり、ノアの洪水では、ノアの家族だけが生き残ったことになっており、ノアはカインの弟セツの子孫ですから、カインの子孫はノアの洪水ですべて途絶えたと考えねばなりません。これは、カインの子孫について書かれた資料(系図資料)とノアの洪水について書かれた資料(J資料とP資料)とが、もともと別々に造られ、後に一緒にされてひとつの物語(創世記)となったとき、編者がその食い違いに気がつかず、矛盾がそのまま残ったのだと考えられます。
おたより、ありがとうございました。