このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。
00年3月19日
ホームページ拝見させていただきました。そこでお尋ねしたいのですが、今ペンテコステ派といわれる人たちの間でおこっている事をどうおもいますか?具体的に言うと聖霊の賜物(預言・異言・癒しetc)が教会内で起こっているということです。佐倉さんの意見を聞かせていただければ幸いです。ちなみに、私は聖書を完全に肯定したり否定したりする立場の人間ではなく、まったく客観的に聖書を考えたいと思っているものです。
00年3月26日
異言というのは、いわゆる「神懸かり」というヒステリー現象で、古代からいろいろな宗教の記録にあります。ロックのコンサートや麻薬常習犯の間などでも見かける失神現象やヒステリー現象と同種のものではないかと思います。閉じられた空間のなかで、音楽や歌や踊りや麻薬を利用して、一時的に集団をヒステリー状態に陥れることは可能です。宗教がしばしば音楽や歌や踊りを利用しているのは偶然ではありません。
「病は気から」と言われるように、「自分は直らない」と悲観的に考えるより、「自分は直るんだ」あるいは「病気と共存できる」と前向きに考える方が、健康回復にとっていくらか有利であることは昔から知られています。しかし、気持ちの持ちようだけで重い病が完治するというようなことはむしろまれで、宗教的癒しの成功率が極めて低いのは当然と言えるでしょう。わずかの、しかも、あやしげな例外のケースを大げさに宣伝しているだけではないでしょうか。
預言(神の言葉を預かり語ること)については、「Keizo Uchidaさんからのお便り」を参照してください。ひとによっては、自分は神の言葉を聞くことができるんだ、とおどろくべき単純さでもって、簡単に思い込むことができるようです。ですから、聖書に「預言者」が登場しても、特別なものでも、何でもないことが分かります。
おたより、ありがとうございました。