この二つの福音書を総合するとこう言えます。つまり、「海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした」人も他の人々の発言に同調して「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言ったということです。
もしかしたら、「セェノ〜」と掛声でもあげて、声を合わせたのかもしれませんね。(^^)
聖書矛盾の調和化の努力もここまでくると、ほんとに、ファンダメンタリストたちを愛さずにはいられません。ぎゅっと抱きしめてあげたくなります。