さんより

北京原人などが存在していた時期を調べるのは地層をしらべます。 しかし地層を調べて時期を割り出すのは不可能なのです。 なぜなら大洪水のときの水圧によって地層はぐちゃぐちゃにされ、 おしつぶされたので、現代に調べれば何万年もたったような状態になるので、 何万年もたったような結果がでてしまうのです。

Doraemonさんはおそらく町で生まれ、町で育って、地層というものをご自分の目でごらんになったことがないのでしょう。わたしは、山の中でうまれ、山の中で育ち、山を切り崩して作られた道路を毎日あるいて学校に通っていたので、地層というものが歴然とした多数の層からなっていて、それぞれの層が異った種類の堆積物であることは、わたしにとっては当たり前のことでした。地層は「ぐちゃぐちゃ」になどなっていません。

その、わたしが生まれ育ったところから、あまり遠くないところに、帝釈峡遺跡(広島県)があります。数年前も久しぶりにおとづれたのですが、この遺跡は、縄文早期(西暦前8千年ごろ)から弥生時代(西暦前2百年ごろ)に至るまでの古代人達の遺物(石器、土器、人骨、など)が同じ場所(違う断層)から出土することで有名なところです。

そのうちの一つ「寄倉岩陰遺跡」の13層からなる地層で発見されたもの(1963年から4次にわたって行われた発掘調査の結果)をあげるとつぎのようになっています。

出土遺物聖書の記録
第一層須恵器、土師器、弥生式土器
第二層上半から弥生前中期土器、下半から縄文晩期後半土器(黒土II式土器)
第三層縄文後期末土器(福田KIII式土器、彦崎KI式土器)
第四層縄文後期後半土器(津雲A式土器)
第五層縄文後期前半土器(中津式土器)
第六層縄文中期から後期初頭土器の新型式ノアの洪水
第七層縄文中期後半土器(里木II式土器)
第八層上半では縄文中期後半土器(里木II式土器)、下半では縄文中期前半土器(船元式土器)と縄文前期末土器(大歳山式土器)
第九層縄文前期前半土器(羽根島下層式土器)
第十層縄文前期初頭土器
第十一層縄文早期末土器(条痕・縄文を中心とした新型式、帝釈寄倉11層式土器)アダムの創造
第十二層縄文早期末土器(繊維を含む縄文土器、帝釈寄倉12層式土器)
第十三層縄文早期後半土器(高山寺式土器)
(広島県比婆郡東城町東条町教育委員会編、『東条町の自然と文化』、36〜37頁、より)

この遺跡の諸層は、古い遺物から新しい遺物までの文化のおだやかな変遷を、実にみごとに伝えています。とても「ぐちゃぐちゃ」などと言えるものではありません。それどころか、聖書の語るノアの洪水なるものが神話上の作り話でしかなかったことの、決定的な物的証拠(「文人はノアの子孫か?」)を提供しています。