聖書が死後の世界についてどのように記し、また語っているのかを読ませていただき ました(「聖書における死後の世界」)。

しかし、大きな取り違いがあるように思われます。確かにこのコーナーで挙 げられている人物については死後どうなったか聖書は語りません。しかし、あなたが 言われているように、聖書は死後の世界について無視や沈黙などはまるでしていませ ん。むしろはっきりと死後の世界について語っています。 まず、マタイの福音書17章にはイエス様が山の上でモーセとエリヤと共に話しをさ れている場面があります。 また、同27章の後半では最後の審判について語られており永遠の刑罰と永遠のいの ちが定められていることが記されています。さらにルカの福音書17章後半にはラザ ロという人が死後、アブラハムのもとで慰めを受け、また金持ちがハデスで苦しんで いる場面が記されています。そして聖書ははっきりとこう言います。 「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」  ヘブル人への手紙9章27節 死後の世界への関心と理解がなければ、死後についてこうまで記しているのはなぜで しょうか。これについてのあなたの見解を教えていただきたいと思います。

「聖書は死後の世界について無視や沈黙などはまるでしていません。むしろはっきりと死後の世界について語っています・・・」と言って、ここにとりあげられている例はすべて新約聖書からのものです。

わたしが、「聖書における死後の世界」で取り上げたのは、すべて、本来の伝統的な聖書(クリスチャンが「旧約聖書」と読んでいるもの)についてであって、新興宗教であるキリスト教だけが勝手に「聖書」と呼んでいる「新約聖書」についてではありません。

新約聖書が永遠の命や死後の世界について語っていることはもちろんわたしは認めています。(「永遠の命の思想」を参照してください。)

わたしが示したかったのはこのギャップです。つまり、新約聖書の思想は、本来の聖書の思想から逸脱した思想である、ということです。