はじめまして、佐倉 哲 様。

私は8月28日にインターネットに加入したばかりのパソコン初心者です。色々とご迷惑をおかけするかもしれませんがご容赦下さい。

ところで、現在私は信仰に篤き真剣なる真理追究者を信仰の良き交流相手として捜し求めています。

私は現在39歳の妻と2人家族の教会や組織に属さない個人的キリスト信仰者です。

私自身が信仰に導かれた経緯は6年前にニューヨーク勤務していた1年半の間に自己の覚醒と人生の再出発の必要性に迫れて帰国直後それまで10年間勤務した企業を依願退職して、今日までの5年間は私自身が真理への道に近づける救済の根本精神である『キリスト精神』(自由・平等・寛容・博愛)に基づく『自主独立精神』『信望愛』『隣人愛』の正しき精神啓蒙・育成・支援事業の実現を目指してきました。その間、多くの試練(失敗)を超えてようやく「チャレンジフォーラム」という研究事務所を開設しました。

この事業は自己の夢や高き理想の実現を目指す挑戦者の精神的支援機関の実現を目的とした福音伝道であります。

私の信仰による精神革命後において、身近な生きた人々には全くといっていいほど強き信仰にある真理追究者は見当たりません。多くの宗教関係者や社会改革運動家や政治家との交流を求めても残念な結果しか得られませんでした。

私が現在師事している人物は内村鑑三とヒルティにすぎません。

それで十分といえば十分過ぎますが、もし、佐倉様がご自身またはご存知の方で勇猛果敢に議論できるほどの人物がいれば是非ともご紹介下さい。

私自身は「キリスト精神」こそが精神革命の根本思想でありこれに優る精神を探すひまがあるならば受け入れたほうが賢明であると確信する者です。

そして、日本には次世紀に向けた「天職」があり、それはまさに新たな宗教革命的精神革命の旗手となことであると考えます。

懐疑的な人ほど最も真理を求める人であると信じて、是非とも、議論や意見交換のしがいのある真剣なる確信に満ちた人物をご紹介下さい。

取り急ぎご挨拶までとさせて頂きます。

田中 聡 

(1)キリスト教は人類にまったく必要ではない

キリスト教は、人類にとってまったく必要ではなく、せいぜい、たとえて言えば「壊れた土器の破片」のような、ひとつの歴史的遺物としての価値しかありません。

キリスト教が日本に伝えられて以来、実に450年という長い年月が過ぎました。「20世紀は非キリスト教化の世紀」と言えるほど、今日、西欧諸国では非キリスト教化がますます進んでいますが、はじめからキリスト教を受け入れなかった日本では、西欧人のような無駄な回り道をする必要がありませんでした。日本は世界の他の多くの民族や国家と違って、キリスト教に出会ったその初めから、意識的に、「キリスト教抜き」の諸文明を取り入れながら発展を続けてきたからです。その伝統が現在でも生きていることは、現在の日本におけるクリスチャンの人口がいまだに1パーセントそこそこでしかないことからもわかります。

キリスト教なしで人類がやってゆけること、キリスト教が人類にまったく必要でないこと、日本はそれを歴史的実験によって、実証してしまったわけです。


(2)キリスト教は「自由・平等・寛容・博愛」に反する

「自由・平等・寛容・博愛」は、キリスト教の特許製品でないことはもちろん、キリスト教に欠けているものばかりです。 キリスト教は、いつでも、他人から学ぶことよりも、他人に自分の信じることを押し付けることに、より多くの興味を持ってきました。しかし、宣教への意志とはイデオロギーによる征服への意志に他なりません。イエスがその弟子達に、

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。(マタイの福音書 28:19)
と言ったのは、まさにそのことを意味しています。

キリスト教が、自分の信じているドグマを他人に押し付けることを善だと勝手に思い込むことができるのは、他人の自由を本当は尊敬していないからであり(自由の否定)、他人よりも自分の方がエライとひそかに思っているからであり(平等の否定)、他人がキリスト教以外の教えを信じていることを心から許せないからであり(寛容の否定)、キリスト教を信じる自分たちだけが恵みを受ける価値があると思い込むことができるからです(博愛の否定)。

もう一つ付け加えれば、キリスト教は平和の敵でもあります。世界の宗教の中でキリスト教(および、その親類にあたるユダヤ教やイスラム教や共産主義)ほど戦争を手伝った宗教はないでしょう。それは今日でも変わっていません。「キリスト教国家」と呼ばれている米国は、今日、世界で最も好戦的な国家となっています。たとえば、レーガン元大統領は、

[世界の悪は] 我々が、それに全力で反対するよう、聖書と主イエスに命じられている。
(シュレンシンジャー著『アメリカ史のサイクル』より)
と言って、米国を世界一の軍事大国にすることに大きな努力をしました。圧倒的な軍事力と金力でもって、他国を自国の理想にあわせて変えてやろうとするのが米国の国際政策であることは、わたしたちの現前の事実であり、説明を要しません。


(3)キリスト者は真理追究者ではありません

キリスト教は、伝道者(自分の側に真理があると思い込んでいる者)や護教者(すでに信じているドグマを正当化するために知的努力をする者)を作り出すばかりで、求道者(真理を探し求めるもの)を作ることはありません。すでに上記に引用したように、イエスは弟子達に、「行って、世界の人々から真理を学んできなさい」と命令したのではありません。そうではなく、「行って、世界の人々を私の追従者にせよ」、と命令したのです。キリスト者は、本質的に、真理を求める求道者ではありません。キリスト者は自らもドグマの奴隷であり、またドグマの奴隷をつくる戦士です。


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以上のように、わたしは考えていますので、わたし自身は田中さんの「信仰に篤き・・・相手」にはなれませんが、本サイトの来訪者の中には、もしかしたら、田中さんの求めておられる人にふさわしい方があるかもしれません。