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言の葉

(51)

「シナ人はほとんど外国人の使用人になってしまっている・・・」


幕末から維新へ移り変わる日本の激動の歴史のなかで重要な役割を担った一人、高杉晋作は、文久二年、清国の上海を訪れていた。そこで彼が見たものは何だったか。これは彼の『遊清日録』からの引用である。


五月二十一日、午前中、骨董品を歩いて書画を見てくる。この日は、一日中、上海という都会のことを考えてみた。ここでは、シナ人はほとんど外国人の使用人になってしまっている。イギリス人やフランス人が歩いてゆくと、シナ人はみなこそこそと道をよけてゆくのだ。ここは、主権はシナにあるとはいうものの、まったく、イギリス、フランスの植民地に過ぎないではないか。北京はここから三百里のかなたにあるというが、そこにはきっと昔からの中国風が残っているに相違ないと思う。どうかそうであってくれと願う。だが、そうした中国人からこの土地を眺めたら、はたしてなんと考えるであろうか。しかし、ひるがえってわが国のことを考えてみる。わが国でも、十分に注意しておかないと、やがてこのような運命が見舞われないとはだれが断定できようか。

五月二十三日、五代とイギリス人宣教師ミュルヘットを訪ねる。彼は、上海にキリスト教を広めるためにやって来ているのだ。彼の居るところは、教会と病院をかねていた。施医院というのだそうだ。ヨーロッパ人が外国に教えを広める場合は、必ず医者を連れていって、そこの、病気になって困っている人たちを、施医院でなおしてやり、これを教会にひきこむという。わが国でも、これは十分に注意して、予防の方法を考えておかなければならないだろう。『聯邦志略』など買って帰る。



--- 高杉晋作『遊清日録』(奈良本辰也『高杉晋作』、p111-112)---