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言の葉

(37)


四年春二月六日、群臣に詔して、「高殿に登って遥かに眺めると、人家の煙があたりに見られない。これは人民たちが貧しくて、炊ぐ人がないのだろう。昔、聖王の御世には、人民は君の徳をたたえる声を上げ、家々では平和を喜ぶ歌声があったという。いま自分が政について三年たったが、ほめたたえる声も起こらず、炊煙はまばらになっている。これは五穀実らず百姓が窮乏しているのである。都の内ですらこの様子だから、都の外の遠い国ではどんなであろうか」といわれた。

三月二十一日、詔して「今後三年間すべて課税をやめ、人民の苦しみをやわらげよう」と言われた。この日から御衣や履き物は破れるまで使用され、御食物は腐らなければ捨てられず、こころをそぎへらし志をつつまやかにして、民の負担を減らされた。宮殿の垣はこわれても作らず、屋根の茅はくずれても葺かず、雨風が漏れて御衣を濡らしたり、星影が室内から見られるほどであった。この後天候も穏やかに、五穀豊穣が続き、三年の間に人民は潤ってきて、徳をほめる声も起こり、炊煙も賑やかになってきた。

七年夏四月一日、天皇が高殿に登って一望されると、人家の煙は盛んに上っていた。皇后に語られ、「自分はもう富んできた。これなら心配はない」と言われた。皇后が「なんで富んできたと言えるでしょう」といわれると、「人家の煙が国に満ちている。人民が富んでいるからと思われる」と。皇后はまた「宮の垣が崩れて修理もできず、殿舎は破れ御衣が濡れる有り様で、なんで富んでいるといえるのでしょう」と。天皇が言われる。「天が人君をたてるのは、人民のためである。だから人民が根本である。それで古の聖王は、ひとりでも寒さに苦しむ者があれば、自分を責められた。人民が貧しいのは自分が貧しいのとおなじである。人民が富んだら自分が富んだことになる。人民が富んでいるのに、人君が貧しいということはないのである」と。 ・・・

九月、諸国のものが奉請し、「課役が免除されてもう三年になります。そのため宮殿は壊れ、倉は空になりました。いま人民は豊かになって、道に落ちているものも拾いません。つれあいに先立たれた人々もなく、家には蓄えが出来ました。こんなときに税をお払いして、宮室を修理しなかったら、天の罰を被るでしょう」と申し上げた。けれどもまだお許しにならなかった。

十年冬十月、始めて課役を命ぜられて宮室を造られた。人民たちは促されなくても、老を助け幼き者もつれて、材を運び土篭を背負った。昼夜を分けず力を尽くしたので、いくばくも経ずに宮室は整った。それでいまに至るまで聖帝とあがめられるのである。

--- 『日本書紀』「巻11仁徳天皇」宇治谷孟訳 ---