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言の葉

(35)


学校の教師というのは、民主的にやれば生徒は従ってくれるはずだと思っているから、生徒とやたら話し合おうとするんです。たとえば、自衛隊の場合と逆に、自分の指示や命令の意味を、「あなたのために言っているんですよ」というかたちで延々と説明するという習性が教師にはあるんです。ところが、話し合いというのは、一見なごやかに見えるけど、本質的にはすごく抑圧的なことなんですよ。自分の考えに相手を同意させようとすることは、相手の内面を支配しようとすることですから。それが教師と生徒の関係では特にそうですね。

自分の考えのほうに生徒を導こうとするのが教師の「指導」だとすれば、それは相手の思想信条を改めさせることであって、人間の内面にまで踏み込む行為なんです。逆に、ただ「やれ」とだけ言われた場合、人は型にだけ従っていれば、腹の中では「くだらねえな」と思っていたっていいわけです。つまり魂は自由なんですね。この逆説を理解している教師は本当に少ないんですけど、「指導」や「説得」が子供たちの魂を傷つけるのに対して「命令」や「管理」は、たとえそれが理不尽なものであっても、個人の内面までは犯さないんです……。

--- でも一般には、枠にはめるということは人間性を抑圧することだと言われていますよね。
だから、それが間違っているんです。さっきも言ったように、枠にはめられても内面は自由でいられるんです。生徒は生徒の役を、決められた枠の中で演じていさえすればいいし、自衛隊員は自衛隊員の役を演じていればいいんです……。人が規律を守れるのは、自分の心は自由だと思っているからです。だからプライドを持てる……。
--- 要するに外枠というのは、その内面の自由、つまりプライドを尊重するシステムなんですね。
そうです。だけど今の社会には、人間は自己のすべてを実現するべきだとか、個人の意思だけで生きるのが本当の自由だ、というイデオロギーが満ち溢れているでしょう。「指導」という方法で、生徒の内面に踏み込んで全人格をコントロールしようとする教師も、実は同じイデオロギーに支配されているのです。そして、生徒を本質的に抑圧しているんですね……。

--- 諏訪哲二(高校教師)、『別冊宝島133「裸の自衛隊」』のインタビューより ---