佐倉哲ホームページ

言の葉

(23)


哲学の正しい方法とは本来、次のごときものであろう。語られうるもの以外に何も語らぬこと。ゆえに、自然科学の命題以外何も語らぬこと。ゆえに、哲学となんのかかわりももたぬものしか語らぬこと。--- そして他の人が形而上学的なことがらを語ろうとするごとに、君は自分の命題の中で、ある全く意義をもたない記号を使っていると、指摘してやること。この方法はその人の意にそわないであろうし、かれは哲学を学んでいる気がしないであろうが、にもかかわらず、これこそが唯一の厳正な方法であると思われる。(6.53)

わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通り抜け、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその無意味なことを悟るに至る。まさにかかる方便によって、わたくしの書物は解明をおこなおうとする。(読者は、いうなれば、梯子を登りきった後、それを投げ捨てなければならない。)
読者は、この書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。
語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。(6.54)

--- ヴィットゲンシュタイン、『論理哲学論考』(藤本隆志・坂井秀寿訳) ---