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言の葉

(9)


皆さん方は、はるばる遠い関東の地から、十余カ国の国境を越えて、生命の危険を顧みず、この京都の地にわびずまいする私を訪ねてこられた。あなた方の志はどこにあるのか。ただ私から、極楽に往生する方法を聞き出そうとするためでありましょう。ところが、残念なことには、私が念仏以外に何か別の極楽往生の方法を知っていて、またその方法が説かれている秘密な経典を知っていながら、わざとそれを隠しているので、その奥にあるものを知りたいとおっしゃってここまで訪ねて来られたとすれば、大変な間違いであります。もしそう思っていらっしゃるなら、奈良にある興福寺や、叡山にある延暦寺をお訪ねなさるがよろしい。そこには、ちゃんと学問をなされた偉い学者さんがどっさりいらっしゃいますから、その人たちにお会いになって、極楽往生の秘訣をよくよくお聞きになるがよろしい。

私は、ただ念仏をすれば、阿弥陀様にたすけられて必ず極楽往生ができるという、あの法然聖人の言葉を、馬鹿正直に信じている以外に、別の理由は何もないのであります。念仏をすれば、本当に極楽浄土に生まれる種をまくということになるのでしょうか。それとも、それはうそ偽りで、念仏すればかえって地獄に堕ちるという結果になるのでしょうか。残念ながらそういうことは私はとんと知ってはいないのであります。たとえ法然聖人がおっしゃったことがでたらめであり、私は法然聖人にだまされて念仏をしたために地獄に堕ちたとしても、ちっとも後悔はいたしはしません。といいますのは、私が念仏以外の他の行を一生懸命勤めて、その結果仏になることが出来るような身でありながら、念仏をしたために地獄に堕ちるというならば、法然聖人にだまされたという後悔も起こり得ましょう。しかし、私はそんな知恵も徳行もなく、念仏以外の他の行によって仏になることなどはとっても期待できない身でありますから、念仏の行によらなかったら、永遠に地獄にいるより仕方がない身なのであります‥‥‥。 だから皆さん、以上の私の言葉をとっくりお考えの上、念仏をなさるもよろしいし、念仏を捨てなさるのもよろしい。全くみなさまの自由勝手、皆様方がご自分でお決めになることであります。

--- 親鸞『歎異抄』 梅原猛訳---