佐倉さま、おひさしぶりです。石田です。貴サイト http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/think/thk034.html で反論をいただき、ありがとうございました。

前回のメールを出してからしばらくはお邪魔していたのですが、 オフでいろいろ私事が重なっていたこともあり、 ここ最近は貴サイトに全然お邪魔していませんでした。 こちら(http://www21.freeweb.ne.jp/diary/junspoli/)の方がメールをくださって、 それで、佐倉さまが反論してくださっていることを知りました。 それが昨日です。申しわけありません。 反論は近日中に作成してお送りいたします。

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「再反論です」

4月22日

 こんにちは、佐倉さま。いしだです。反論なさっていただいているのに気付かずに長い時間を過ごしてしまいました。申しわけありません。
 できましたら、反論を掲載されたことをメールでお伝えいただきたかったです。


 まず、議論の前提を示させていただきます。

 わたしに提示できるのは、その時その時のわたしに可能な最良の仮説です。わたしの中には「成体の体細胞に由来するヒトクローンの製造を認めるべきではないのではないか?」という根拠不明で素朴な感情があります。わたしはその素朴な感情を説明するために・その感情を理解していただくために・その感情を他人にも分かち合っていただきたいと欲しているために、様々な論理を持ち出すのです。
 これは「成体の体細胞に由来するヒトクローン」について議論するときに限った態度ではありません。他の問題を考えるときにも、わたしはこのように考えて思考し、議論しようと努めております。
 ですから、わたしが論理を構築して「何々だから○○である」と言い、そしてそれが今回の佐倉さまからいただいた反論のように(?表面的に?)論破されてしまったら、わたしはわたしの素朴な感情を、それまで通りの論理を補完したり、新たな論理を持ち出したりして、脆弱ではないものによりかかれるようにしようと試みます。
 「論拠」的なものが変化した場合には、今までのそれのどこに誤りがあったと考えるのか、いただいた指摘のどれがそれに気づかせてくれたのか、そしていただいた指摘のどの部分に共鳴するのか、新たな「論拠」的なものがどのようなものなのかについて、その都度明らかにしつつ主張を展開いたします。
 わたしは、論理を根拠にしてその上に感情をのせるのではなく、感情を中心に据え、その感情がどこから来ていてそれを説明するために必要な論理は何かを探る、という方向で議論をいたします。一つの論理だけを論拠とすることはいたしません。
 何か ずるい ようなものを感じられるかもわかりませんが、現時点のわたしは、恐らくこれがわたしの取りうる最良の方法だと考えております。



1.どうして双子を糾弾しないの?

 双子もヒトクローンだとのご指摘、ごもっともです。言葉足らずで失礼いたしました。
 前回のメールでわたしが連呼していた「ヒトクローン」は、ほぼ全て「成体の体細胞に由来するヒトクローン」のみを指していました。わたしは「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を作り出す行為や、作り出す技術、その論理を糾弾していこうと思って書いていたのです。
 そしてこの「糾弾」という言葉も不正確だということに気付きました。「糾弾」ではなく「問い続ける」か「疑義を呈する」に代えさせてください。
 また、佐倉さまがおっしゃるような、

一卵性双生児のクローンは、まだできたての一つの受精卵が、勝手(偶然?)に細胞分裂して、自らのクローンをつくることによってできるものです。
 という状態のヒトクローンは、わたしは「作る」のではなく「クローンができる」あるいは「一つだったモノが二つになる」ものだと考えています。「成体の体細胞に由来するヒトクローン」と、受精卵が分裂して完全な複製ができる双子とは、まったく違います。これらには「同じ遺伝子を持つ」という共通の特徴もありますが、根元において、全く異なる性質を持っているとわたしは考えております。ので、別のものとして考えさせていただきます。
 また、体外受精卵を人為的に分裂させて子宮に着床させ、そのまま双子をさずかった家庭がありますが、それも「成体の体細胞に由来するヒトクローン」ではありませんので、今は問題にするつもりはありません。わたしが疑義を呈するのは、科学的で人為的な手段を用いて「体細胞に由来するヒトクローン」を製造しようとする一連の動きです。


2.自己決定

 わたしはあわてていません。あわてていなかったことの根拠として、前回のわたしの発言の中から、もう少し前の箇所を引きます。

全面的に賛成することの出来ない考え方ですが、「自己決定」という考え方があります。ヒトクローンの場合にわたしがその反対の根拠としているのは、全面的には賛成できない、この「自己決定」という考え方なのではないかと思います。

 あわてる必要がないくらい、自分の考えに自信がなかったんですね(汗)。語尾も「思います」になってますし。ですから、「すり替え」ているわけでもありません。全面的に依ることのできない「自己決定」に拠るだけでは根拠が薄弱だと判断し、他の理由を持ってきて自論を補完しようとしているに過ぎません。
 しかしココも言葉足らず・思慮不足だったと思います。「また、」くらい書けばよかったと思います。それにその後で「これをヒトクローン反対の根拠にしています。」と言い切っていますし。
 ともあれ、わたしが全面的に「自己決定」という考えに依るわけではないという立場を表明していた、あわててはいない、という指摘でした。

 実は佐倉さまの返信を読む前に、わたし自身はわたし自身でそれなりに思索を展開しておりまして、「ヒトクローンに反対するために「自己決定」のみを根拠にすることはできない」という結論に到達しておりました。実際に何を論拠にすれば良いのかはまだわかっておりませんが。
 しかし、2月の時点のわたしに提示できた「体細胞に由来するヒトクローン」を製造することに反対するための最良の仮説が「自己決定」を最大の論拠にしていたのは事実です。
 2月にわたしが行ったようなやり方では「自己決定」を根拠にして「体細胞に由来するヒトクローン」を製造するのに反対することはできない、との指摘、ありがとうございました。この点につきましては、佐倉さまに感謝いたします。

 とりあえず、現時点でのわたしは、「自己決定」を論拠にするのは無理があると考えております。理由は、佐倉さまと同様、そもそも「自己決定」して生まれてくる人間など皆無であるということ、芥川龍之介の『河童』のようにはいかないということに気付いたからです。である以上、それを論拠とすることは出来ないと考えるからです。


3.クローンを欲しがるのは本能ではない?
何が本能で、何が本能ではないか、それを単なる個人的な感覚(たまたま石田さんが生まれそだった環境で無意識的に教えられてきたにすぎない非合理的感情)で勝手に決めてもらっては困ります。

 ご指摘ありがとうございます。「教えられてきた」を「教えられたり学んだりしてきた」に変更することが許されるならば、この指摘をいただいたことについても佐倉さまに感謝いたします。
 しかし、佐倉さまは、体細胞に由来するヒトクローンの製造と、セックスすることによって生まれて来る子どもが双子として生まれてくることとを同じ現象と捉えていらっしゃるのですね。
 わたしは、それは間違いだと考えています。

◆ 成体の体細胞に由来しているか否か