クローンという概念について

クローン人間はすでに存在してます。一卵性双生児(ふたご)は偶然がつくった クローン人間です。三つ子、四つ子、五つ子・・・一卵性であれば、彼らはみん なクローン人間であって、わたしたちの社会の中で生存しています。人工的にそ れを実現するのがクローン技術です。(佐倉さん)

 なるほど、ここが違うのだ、と合点しました。クローン(clone)を試しに、ランダムハウス英和辞典で引いてみます。第一義として、「1つの個体[細胞,DNA]から無性生殖的に生じた,遺伝的に均一な個体[細胞,DNA]群」と出て来ます。佐倉さんのクローンの定義は、この文章の中から、「無性生殖的に」という部分を、意図的に抜いて考えられたもので、一般的なクローンの概念とは違っています。

 実は、この佐倉さんの議論に出会った時、「はっ」とした、というか、そういう議論もあるのか、と目から鱗状態で、非常に新鮮に感じたのです。と同時に、本当にそうなのだろうか、と疑りだす気持も働きまして、あらためて調べてみた次第です。上に引用したものは、ランダムハウスですが、他のもっと専門的な文書で調べていただいても、ほぼ同様の定義がなされているはずです。実は、「一卵性双生児(ふたご)は偶然がつくったクローン」という部分に(自然界に一卵性の三つ子四つ子、五つ子は存在しないはずですが)妙に惹かれたのです。でも、一卵性双生児は、遺伝的に均一な個体ではあっても、無性生殖的に生じたわけではないので、クローンとは言えないのです。

 もともと、複製生物を称して、クローンと呼んだのですから、生殖細胞ではなく、一般の体細胞をもとに、無性生殖させるというところに、クローンという事象の特殊性があります。だから、「偶然がつくったクローン」はありえないので、もっとも初歩的な植物のクローン(挿し木)の場合でも、偶然ではなく人の手が関与している、つまり、人工的にそれを実現しているのです。その意味では、クローンという概念を、上に述べたような一般の意味で使用される限り、クローン技術ぬきのクローンは考えられないわけです。

 さて、この認識に立って、佐倉さんの「正義の先送り」論にも、反駁させていただきます。

米国の公民権運動の歴史の中で、白人たちは、「黒人が選挙に参加するのには、 まだ時が満ちていない」とくり返したものです。黒人が人間であることを否定 することもできないし、同じ人間なのに選挙権を否定することもできないため に、「もちろん、わたしたちは黒人の選挙権を否定するものではない。わたし たちはただ、黒人は教育をまだ十分に受けていないので、政治家を選出する条 件を見たしていない。もう少しかれらには準備が必要なだけだ。まだ時が満ち ていないだけだ・・・」などという理屈を展開して、黒人に選挙権を与えるこ とを、先送りし、先送りし、先送りし続けたものです。しかし、マーチン・ル ーサー・キングは、白人たちの魂胆を見抜いていました。

Justice delayed is justice denied!(正義の先送りは、正義の否定である。) (Martin Luther King Jr.)

クリスチャンたちは、クローン人間が同じ人間であることを否定できず、同じ 人間に生存する権利を認めない理由も見つけることができないために、これか らも、クローン人間の権利を否定し続けるために、「まだ時が満ちていない」 という言い訳をくり返すことでしょう。 (佐倉さん)

 公民権運動以前から、というよりも、人類の歴史の初めから、黒人は存在しました。問題は、白人たちが、彼らを人間として考えていなかったところにあります。少なくとも、ある歴史の中で、彼らは奴隷として扱われ、その場合、奴隷は人間ではなかったのです。悲しい事に、制度としての奴隷制が、国宝によって廃止された後も、一部の白人達の意識の中では、あくまで黒人は人間とみなされていなかったのです。政治が妥協の産物である以上、この種の声もまた行政に反映されます。だからこそ長く辛い公民権運動という闘いが必要とされたのです。その過程の中で、「もちろん、わたしたちは黒人の選挙権を否定するものではない。わたしたちはただ、黒人は教育をまだ十分に受けていないので、政治家を選出する条件を見たしていない。もう少しかれらには準備が必要なだけだ。まだ時が満ちていないだけだ・・・」と白人の「理解ある知識人」が語ったとしても、実際に選挙権を与えていないということ自体が、黒人を人間として認めないという、論理あるいは感情の上に立った妥協的な決定なのですから、差別の範疇から脱していないわけで、「正義の先送りは、正義の否定である」と言えるでしょう。そう考えてみると、「クリスチャンたちは、クローン人間が同じ人間であることを否定できず、同じ人間に生存する権利を認めない理由も見つけることができないために、これからも、クローン人間の権利を否定し続けるために、『まだ時が満ちていない』という言い訳をくり返すことでしょう」というのは、ちょっと違うのではないかな、という気がします。まず、現在、クローン人間は存在しないし、わたしたちがクローン技術を駆使して存在させようと思わなければ将来も存在しないでしょう。 そこで、クローン人間は人間であるという命題の場合も、(これは、もしクローン人間であれば、人間であると言い換えられますが)仮定の「クローン人間である」という部分が偽であれば、あらゆる命題が真になるので、結論部に「人間である」を持ってきても、「商品である」を持ってきても、どちらも成立するという不安定さを持ちます。わたしは何もクローン技術に反対なわけではないので、こうした未確定の未来を語る場合には、「もしクローン人間であれば」という命題の結論部が「人間である」に必ずなり、たとえ一部でも、「商品である」という可能性を残しておかない、そういう環境整備、が事前に必要、と申し上げたのです。倫理が確立されなければ、という曖昧な表現をとったために誤解を生んだ事をお詫びいたします。
これからも、クリスチャンたちは、その宗教ドグマを守るために、しかしその宗教的 ドグマを前面に出すわけにはいかないので、いろいろな言い訳を考えだすことでしょ うが、おそかれはやかれ、人間クローンはかならず実現することでしょう。(佐倉さん)
 宗教的ドグマ、ではないと思います。第二次世界大戦の時に、ナチスドイツは、一面でユダヤ人は人間ではないというようなドグマを持ちながら、バイオ技術の開発に関してはもっとも先進的な集団でした。ほぼ同時期に、北欧諸国では、優勢思想という形で、バイオ技術の開発と、障碍者差別とを合体させていました。これらは、キリスト教の宗教的ドグマから出たものでしょうか?ある意味ではそう言えると思います。と同時に、これらの思想を批判する声も、同じキリスト教の中から出てきた、ということも見ておきたいのです。宗教的ドグマ、というもの自体が、人間の弱さによって捻じ曲げられた宗教絶対主義から出てくるものだと思います。その意味で、今はクローン技術としては動物の段階が試されているところ、クローン人間はまだ時期尚早、という意見は、ドグマではないと考えます。
かつて、米国では、クリスチャンたちが、酒造りを禁止し、造酒業はすべて地下組織で 秘密裏に行われるようになりましたが、クローン技術が進めば、同様のことは必ず起こ るでしょう。酒造りを禁止したクリスチャンたちの言い訳より、酒を飲む楽しさの方が はるかに人間を動かす力があったように、人間クローン技術を禁止するクリスチャンた ちの言い訳より、事故で突然死んでしまった我が子の復活を望む親達の悲願の方がはる かに人間を動かす力があるだろうからです。(佐倉さん)
 多分、これが一番の問題点だと思います。おっしゃる通り、地下組織で秘密裏に行われるより、公然と地上で行われることの方が望ましいことは確かです。佐倉さんの「一人子を交通事故で突然亡くしたある夫婦」の事例は、確かにその危険性を暗示する説得力をもっています。しかし、すべての事故で子供を無くした親が、その子の蘇りを望むでしょうか、また、すべての我が子の蘇りを望む親たちが、秘密組織にクローン技術開発のための多額のお金を投資するでしょうか。この両親はたまたま金持ちであり、すべてをお金で解決するということにうしろめたさを感じない人であったから、このようなことが起きたのではないですか?我が子の蘇りを望む親たちに、クローン技術を提供するにしても、それ以前に、お金の原理以外の公平な優先順位が確保されて始めてそれを行うべきでしょう。そうでないと、「もしクローン人間であれば」に対する結論部が、いつの間にか、「商品である」に容易になっていってしまうと危惧するのです。同じ子供を無くしたもの同士として、他人を出し抜いてまで自分の子供だけをというのではなく、他の人も共に喜べるような解決を求めていくような高い倫理観がまず必要とされるのではないでしょうか。これは確かにきれい事を並べているように聞こえる事は分かっています。しかし、そのような倫理観なしで、クローン人間を考えるということは危険、とどうしても考えてしまうのです。
日本は世界中の人間クローン技術者を宗教的弾圧から擁護し、人間クローン技術の先駆 者となる歴史的使命を持っているとわたしは考えています。 (佐倉さん)
 確かに、日本が、そうした宗教的とらわれを持たないが故に、人間クローン技術の分野で一歩先駆ける事ができる、ということは、そうかもしれません。ただ、宗教の問題としてでなく、倫理の問題として、まずきちんとした枠組みを作り上げてから、それに取り組んでいったとしても、宗教的とらわれの問題が存在する以上、日本が一歩先駆けて、その使命を果たす事になる可能性は高いでしょう。拙速はいけないと考えています。以上、生意気な事ばかり言いましたすみません。ただ、前回の投書の意図が良く伝わっていなかったと思いましたので。


1.一卵性双生児は自然が作ったクローンである

一卵性双生児は、遺伝的に均一な個体ではあっても、無性生殖的に生じたわけではないので、クローンとは言えないのです。

今日の生物学では、同一の遺伝子を持つ生体のことをクローンと言っているわけですから、「遺伝的に均一な個体ではあっても・・・クローンとは言えない」というのは、今日では、はなはだ驚くべき見解です。したがって、そこには何か深い個人的な理由があるのだろうと想像させられますが、しかしこれは単に定義の問題ですから、Junさん独自の「クローン」の定義があってもいいわけで、「世の中の常識に反して、わたしは<クローン>という言葉を、これこれこういう風に使いたい」という立場は、それはそれで尊重いたします。

ただ、わたしが本サイトで問題としているところのクローンというのは、「ヒツジのドリー」とか、「受精卵クローン牛」とか、「体細胞クローン牛」など、世間で話題になっているクローンに関して、現代生物学的が一般に定義しているクローンのことであって、Junさんと違って、わたしはその常識的な定義に何の不都合も感じておりませんから、Junさん特有の「クローン」に関してではなく、いままでどおり、世の中で使われている常識的なクローンについて、わたしの意見を述べさせていただきます。

今日の生物学の常識的見解では、同一の遺伝子を持つ生体のことをクローンというわけですから、一卵性双生児は当然クローンということになります。したがって、次の例のように、人間クローンに賛成する人も反対する人も、一卵性双生児は「自然(偶然)にできたクローン」である、ということについては、共通の認識を持っています。

ヒト・クローニングは、偶然によってすでに起こっている。頻繁にとは言い難いが、誰もがその例を目にする程度には。一卵性双生児はクローンであり、同じ遺伝子を持っている。 (オックスフォード大学教授、リチャード・ドーキンス、「クローニング、何が悪い」、ナスバウム&サンスタイン編、『クローン、是か非か』、産業図書、44頁)

自然界でも脊椎動物のクローンは存在する。一卵性双生児だ。一卵性双生児は、一つの胚が発生初期に偶然、半分に別れたもので、人間を含むほ乳動物でも起こる。生まれてくる子どもは一つの受精卵に由来するので、遺伝的にまったく同一である。(米国国家生命科学倫理詰問委員会(NBAC)「クローニングの科学と応用」、同書、14頁)

一卵性双生児を考えてみよう。それは言うならば「自然にできたクローン」である。(ニューヨーク市立大学教授バーバラ・カーツ・ロスマン、「オーダーメードの生命」、同書、314頁)

「自然の」クローニングは、一卵性双生児というまれなケースでしか起こりえない・・・。(シカゴ大学教授エリック・ポズナー&リチャード・ポズナー、「ヒト・クローニングの需要」、同書、262頁)

自然のクローンである一卵性双生児・・・。(ニューヨークタイムス科学記者ジョージ・ジョンソン、「心を探して」、同書、61頁)

[クローン動物とは]同じ遺伝子(DNA)を持っている細胞、あるいはその細胞の集合体(個体)を指す。 だから単細胞生物であるゾウリウムシは一つの細胞が分裂する細胞分裂によって増殖するわけですから分裂したゾウリムシはすべてクローンゾウリムシであるといえます。また、一卵性双子というのも一つの核からできているものなので同じ遺伝子を持ったクローンということになります。 (「クローン動物とは何を指すのか?」、Clone Facts

ヒトの場合、通常受精卵は一個であり、それが細胞分裂をしてひとりの人間になります。ところが、この分裂の際に細胞同士が離れてしまうことがあります。例えば、一個から二個に分裂したときに、何かの拍子に離れてしまうことがあります。それが別々に育つと双子になります。元が同じ細胞なので、一卵性双生児が同じ遺伝情報を持つことは当然ですね。よって、一卵性双生児はクローンであると言えます。(Clay.Salsamille、「特集:ポケモンとクローン」、with_p 6/1 号より)

このように、今日の生物学の常識的な意見によれば、一卵性双生児は自然のクローンですから、人間クローンを作るとは一卵性双生児を人工的に作ることにほかなりません

[Human cloning is ] to give birth to a child who is, in effect, a non-contemporaneous identical twin of someone else.... (Robert Wachbroit The Washington Post Sunday, March 2, 1997 )

A human clone would be the genetic identical twin, a generation or more younger, of the donor (not the surrogate mother) who provided the nucleus.(クローンは、その核を提供してくれた人の、一代あるいはそれ以上若い、一卵性双生児となることである) (LEARNING NETWORK, "Clones Aren't Exact Copies")

Whatever the methods of production are, a clone would be as "human" as an identical twin. (クローンは一卵性双生児とおなじ人間である)

A human clone is really just a time-delayed identical twin of another person.(人間クローンは、実際のところ、時間を隔てて生まれる一卵性双生児のことにすぎない。) (Steven Vere, "The Case for Cloning Humans")

クローンは年齢差のある双子と言えるのです。 (東京農業大学の岩崎説雄教授、『クローン…「時間差の一卵性双生児」たちが生まれる日(3/4)』、人体改造の世紀より)

端的に言って、[クローンとは]年が離れた、一卵性双生児(ふたご)を作るに過ぎない (「クローン生物〜発生学」)

受精卵クローン技術は、受精後5〜6日目で、16〜32細胞へと細胞分裂が進んだ状態の受精卵(胚)をひとつひとつの細胞(割球)に分けます。 割球のひとつひとつをそれぞれレシピエント卵子へ核移植・細胞融合し、培養した後、仮親牛へ移植・受胎させ、お互いにクローンである牛を作製します。 こうして生まれた受精卵クローン牛同士は、遺伝的に同一なものであり、いわば、人工的 に一卵性の双子や三つ子を産ませる技術といえます。 この技術によって我が国でも、1990(平成2)年に受精卵クローン牛を誕生させることに成功しました。 (バイオテクノロジー Q&A「クローン技術について」)

自分のクローンを作るとは、よく言われるように、せいぜい大きく歳の離れた一卵性双生児を作ることに他ならない。 (上村 芳郎、「クローン人間の倫理性」)

今回のクローン羊は片親の羊から遅れて誕生した遺伝的双生児と呼ぶことができ,親と同一の遺伝情報が受け継がれたものと言うことができる。 (学術審議会特定研究領域推進分科会、バイオサイエンス部会、「大学等におけるクローン研究について(中間報告)」)

クローンに関してまるで怪物が産まれるようなイメージを抱く人がいるが、産まれるのは双子と一緒。 (クローン技術はどこまで許されるか?参考資料「クローン投票:各選択肢のメリット・デメリット」)

クローン、あるいは人工的に双子を作る技術・・・。(00年8月Science Book Review:ロビン・ベイカー著 村上彩 訳『セックス・イン・ザ・フューチャー 生殖技術と家族の行方』、紀伊國屋書店)

わたしが、前回、「クローンである人は未だ存在しません」というご意見に対して、「クローン人間はすでに存在してます。一卵性双生児(ふたご)は偶然がつくったクローン人間です」と言ったのは、わたしの意見ではなく、このような世の中の常識の受け売りにすぎません。


2.クローンは自然にあふれている

「偶然がつくったクローン」はありえないので、もっとも初歩的な植物のクローン(挿し木)の場合でも、偶然ではなく人の手が関与している、つまり、人工的にそれを実現しているのです。その意味では、クローンという概念を、上に述べたような一般の意味で使用される限り、クローン技術ぬきのクローンは考えられないわけです。

世の中の常識に敢然と立ち向かって、独自のクローン定義を宣言する気などまったくないわたしとしては、この点でも、今日の生物学の常識をそのまま受け入れています。つまり、クローンは自然にあふれている、という今日の科学の常識をそのまま受け入れています。

芝生の中の芝が茎を出して根を張るとき、それは無性生殖で繁殖している。芝は種子による正常な有性生殖に加えて、無性生殖を行えるわけだ。また、球根と根茎は、やはり種子による生殖ではなく、植物に見られる無性生殖の別の例である。・・・植物の無性生殖のもっとも単純な形態は、ある種の藻類の場合のような、単細胞の植物が行う細胞分裂による繁殖である。無性生殖的に作られた親の植物と遺伝的にまったく同じ、クローンである。

(ジェームス・トレフィル、『科学1001の常識』、1)

日本各地で見られるごく普通のフナ(ギンブナ)にはなんとクローン集団が存在します。  例えば、北海道に生息するギンブナの90%以上は、五つのクローン集団に分けることができます。つまり、北海道のほとんどのギンブナは、遺伝子的に五種類しかいない、と言うことです。  クローン集団を構成するギンブナは全て三倍体(遺伝子(染色体)が3セットあること。普通は2セットで、二倍体という)のメスで、当然卵によって増えます。  その際、通常は同種の雄の精子と受精しないと子どもができません。しかし、そのメスが生む卵は、どんな魚の精子でもかまわず受精します。  精子内の遺伝情報はすぐに消滅させられるので、受精の時の刺激が発生に必要なようです。  これ以上の説明は非常に複雑になってくるので割愛しますが、このように動物のクローンというものは決して珍しいことではありません

 さらに植物に至っては、当然のごとくクローンが存在します。まず、誰でも食べたことがあるであろう、イチゴ(オランダイチゴ)。  イチゴはもちろん種によっても増えますが、その他に枝(ストロンという)を伸ばしその先に新芽をつけることでも増えます。  他にはジャガイモがあります。さらに、ツクシ(スギナ),ササ,タケ,ワラビなどや球根を為す植物も当てはまります。  以上のように、植物では動物よりもクローンは一般的なことであると言えます。

(Clay.Salsamille、「特集:ポケモンとクローン」)

バクテリアやアメーバやゾウリムシのような単細胞生物はすべて無性生殖的に、つまり自分と同じ遺伝子をもつ生体を作ること(クローン)によって、繁殖します。進化論によれば、全ての生物はかつては単細胞生物であったわけですから、人間もはじめから有性生殖であったのではなく、アメーバやゾウリムシのように、無性生殖(クローン)によって繁殖していたことになります。生命が地球上に現われたのがおよそ35億年ほど前、そして多細胞生物が地球に登場するようになったのはわずか10億年前ですから、人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長い(25億年)ということになります。

したがって、今日でも人間が、通常は有性生殖(精子と卵子という二つの個体からの二つの遺伝子の融合)で繁殖するけれど、昔の繁殖方法(無性生殖=クローン)を完全に捨ててしまったわけではなく、ときどきは無性生殖(一卵性双生児)によって新しい生体を繁殖させるのも、決して不思議ではないと言えるでしょう。

人工授精の技術が、人工的に有性生殖(子ども)を可能とするように、クローン技術は、人工的に無性生殖(一卵性双生児)を可能とするわけです。


3.「もしクローンが人間であれば・・・」?

これは、もしクローン人間であれば、人間であると言い換えられますが)仮定の「クローン人間である」という部分が偽であれば、あらゆる命題が真になるので、結論部に「人間である」を持ってきても、「商品である」を持ってきても、どちらも成立するという不安定さを持ちます。わたしは何もクローン技術に反対なわけではないので、こうした未確定の未来を語る場合には、「もしクローン人間であれば」という命題の結論部が「人間である」に必ずなり、たとえ一部でも、「商品である」という可能性を残しておかない、そういう環境整備、が事前に必要、と申し上げたのです。

「遺伝的に均一な個体ではあっても・・・クローンとは言えない」とか、「自然の世界にクローンは存在しない」とか、Junさんのご意見には驚かされますが、この「もしクローンが人間であれば」というご発言には、もう、卒倒しそうです。こんな発言をすることができるためには、ご自身が「人間クローンは人間であるかどうかわからない」と思っているのでなければならないからです。

しかし、Junさんのいうクローンとは、今日の科学的常識で語られているクローンとは別のもの(どうやら、人間そっくりの怪物をイメージしておられる)らしいということを念頭に置けば、Junさんの頭のなかに、「もしクローン[人間]が人間であれば」などという考えが浮かんだりするのも、それなりに理解できぬわけでもありません。

Junさんの空想の中のクローンではなく、実在するクローン -- 自然界に存在しているあまたのクローンや、最近人工的に作られた羊や牛のクローン -- すなわち、今日の科学の一般的な常識で語られているクローンに関しては、「人間クローンは人間であるかどうかわからない」といった問はもちろん存在しません。そもそも、クローン(無性生殖)とは、生命が自らが繁殖するために行う二つの根本的な方法のうちの一つだからです。一つのアメーバから生まれたもう一つのアメーバは、クローン・アメーバであるから、「アメーバかどうか分からない」などという問いは、今日の科学の一般的な常識では、ありえない愚問です。

むしろ、一卵性双生児の兄弟同志の方が、そうでない兄弟同志よりも、より似ているように、むしろ、クローン(無性生殖)による新しい生命の方が、有性生殖による新しい生命よりも、もとの生命体にはるかに近いのです。有性生殖による子どもは、その親のどちらとも異なる遺伝子を持って生まれてくるのに比べて、無性生殖(クローン)による子どもは、親とまったく同じ遺伝子を持って生まれてくる、親そっくりの、親の双子だからです。もし、クローン人間が「人間かどうか分からない」なら、有性生殖による子どもの方が、はるかに「人間かどうか分からない」存在です。


4.Identical Triplet(一卵性三つ子), Identical Quadruplet(一卵性四つ子)、等

自然界に一卵性の三つ子四つ子、五つ子は存在しないはず・・・

その「存在しないはず」の家族(Identical Triplet 一卵性三つ子や Identical Quadruplet 一卵性四つ子等)を含む、家族たちが意見を交換するサイトです。(http://www.tripletconnection.org/

こちらも、ネバダ州に住むカルマさんの、「存在しないはず」の貴重な Identical Quadruplet(一卵性四つ子)の写真です。 (http://www.lvrj.com/lvrj_home/1997/Nov-27-Thu-1997/news/6501806.html

Jackie Karma, 24, gave birth Nov. 7 to four identical boys -- Lennon, Mark, Nolan and Sabin -- with no help from fertility drugs. The Karma family more than doubled in size with the arrival of the quadruplets, believed to be one of only three such identical sets in the country.
この記事によると、Identical Quadruplet(一卵性四つ子)の家族は、米国でも、カルマさんの家族を含めて、現在わずか三つの例があるだけだそうです。

一つの受精卵から何人の子どもが可能なのでしょうか。Nature (1986/320:63) に載せられたWilladsen 博士の論文によれば、16に分裂した細胞の一つ一つが、別個の生命として誕生する可能性があるそうです。

これは、こんにち、わたしたちが知っている受精卵の成長の過程から想定しても、妥当な数だと思われます。

精子と卵子が融合して二日目に入ると、細胞は二つに分かれる。それぞれの細胞が二つに分かれて四つになり、また分かれて、三日目半ばには合計八つの細胞が生まれる。細胞の数は増えるものの、他にはほとんど何も起こっていない。八つの細胞が一つずつに分かれれば[=離れれば]、また、それぞれが胚になり、[八つの]別個の人間の生命になる可能性がある。[しかし]ふたたび細胞分裂が起こって細胞が十六個になると、ひとつひとつ違った性質の成長を始めるステップに入る。胚はまだボールか、ごく小さなラズベリーのようにしか見えない。だが、外側の細胞は、内側の細胞との関連から自分の位置を認識することができる。そこで反応が起こり、将来、胎盤などの、成長中の胎児を守る働きを持った器官をつくる細胞へと分化する。生物学における「分化」とは、「違ったものになる」という意味である。

(リー・M・シルヴァー、『複製されるヒト』、62頁)

つまり、自然の中では、受精卵の細胞分裂が起こって細胞が十六個になったときが、それぞれの細胞が、独立した生命になるか、それとも、一つの生命個体の中の器官になるか、の分かれめです。したがって、それ以前に、それらの細胞が何らかの理由で離れれば、一卵性双生児(identical twin)や一卵性三つ子(identical triplet)一卵性四つ子(identical quadruplet)などが生まれることになるわけです。離れなければ、それらの細胞は一人の子どものからだの中の一部分になるわけです。逆に言えば、わたしたちの体を構成しているもの(体細胞)は、もともと、同じ遺伝子を持った別の独立した生命体になる可能性を持っているということにもなります。この自然の事実こそが、まさに、今日のクローン技術を可能にしているわけです。


5.その他

Junさんのご主張には、まだほかにも、納得できないものが多いのですが、長くなりますので、別の機会に譲ります。