佐倉哲エッセイ集

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来訪者の声

このページは来訪者のみなさんからの反論、賛同、批評、感想、質問などを載せています。わたしの応答もあります。


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Daiki Tanakaさんより

99年11月5日

拝啓 佐倉様

僕は20歳のカナダにいる学生です。今佐倉さんのいくつかのエッセイを読ませていただき、言葉に尽くせない感動に浸っています。なんと表現したらわからないのですが、今まで自分が追求してきたものがここにもあった、こういうことを考えてくれる人がちゃんといて、それを読む人がほかにもいた!という発見(?)、周りにあまり理解されなかった自分にとって、何かものすごく心強いものを感じました。

高校二年生の頃から老荘思想を最初のきっかけとして哲学・宗教に興味を持ち始めたのが全ての始まりでした。もうそれから取りつかれたように、自分の知的欲求に任せて本を読み漁るような生活をするようになりその度に震えるような感動を味わっていたのを思い出します。仏教(日本、中国、インド、チベットの隅から隅まで。なかでもチャンドラキールティの分厚い中論解説の本を図書館の書庫で見つけた時の感動といったら!尊敬する僧は数え切れないほどいますが、主要経典、仏教学の本と道元の書、中論はカナダまで持ってきました。)、東洋思想全般(道教、陽明学、儒教、ヒンズー(マハーバーダラは長かった..)、ユダヤ(カバラ)・・・・)、西洋哲学全般(特にニーチェ、ヤスパース、バタイユ、ソクラテスが好き)、深層心理学関係(ユング!)、いくらかの文学書、人類学(中沢新一も入る?)、民俗学(熊楠!)、歴史(特に縄文)、近代物理、生物学、経済、政治、地理とまぁ他にもいろいろ、岩波や名著シリーズを中心にして乱読するタイプの一学生(皆が受験勉強している時にフッサールとかついつい読んでしまうような)でした。あまりにものめりこんで卒業後1年間大学にも行かず、読書、考え(瞑想も本気で)にふっけていて、その一年は社会的には浪費ですけど、自分にとっては一番収穫のある年でした。

今はちゃんとしたカリキュラムに沿った(飽き飽きするような?)授業、哲学と政治を勉強しています。笑っちゃいそうになるような授業で、平均的カナダ人(アメリカ人?)になるための教養を一生懸命履修しています。何で人類何千年も生きてきてこんな世界しか作れなかったんだろうって絶望みたいのを感じるのはおかしいですか?もう欧米人とは分かり合えそうにもないと無気力に沈んでしまうような感覚、国際政治もこのまま進んでいくんだろうなとか、哲学はもう死んじゃったのかな(dualism, freewill, relativism, skepticismなんて言わないで!contemporary philosopherという言葉も聞きたくない。)とか、なんか何もかも違う!真実を語る人の声はなんて小さいんだろうなんて一人で思っています。この人達の信条をどうやったらくづせるんだろうと自分の非力を感じるしかありません。

本当に自分も含め全ての人間なんて凡人もいいところ、どう転がっても不完全から抜け出せない。あぁ、あまりにも不完全過ぎる。何かを語る気力もなくなってしまってただ呆然とするしかない麻痺状態。抽象的過ぎる文章ですね。中身がない...西洋、東洋に限らず教科書レベルの授業には限界が。(でも当然学ぶ事は沢山ありますよ!)といってもそんなところにしか居れない自分の頭の悪さがいけないんだろう!もっと勉学に励なければ。それにしても国際政治には我慢が出来ない。世界中が民主主義になるべきだって?アジアに対するあまりにも曖昧で単純な偏見。和なんて誰が知っているんだろう?人権は世界普遍道徳?子供の労働や人間の最低8つからなる権利が脅かされている人々の事をあなたは考えないのですかとやりこめられてしまう。全然違うんだよ〜、うぅ、もっと頭良くなりたい。説明がうまくできない...自由、平等、友愛といった空想めいた美しい言葉、強し。独立や権利、グローバリズム、自由、フェミニズム、国連、平和なんて言った数え切れない言葉に酔いしれている全世界(ほぼ)どうなっちゃうんだろう?

僕みたいなちゃんとした知識もない未熟者には、まだ何が正しい情報なのかわかりませんが、オウム関係者が言っている事についてどう思われますか?

反ユダヤ的な陰謀(?)説について。多分ご存知であると思いますが、阿修羅さんのページがとても興味深かったので一応紹介させてもらいます。(勝手に紹介していいのかな?)特に、プロトコールら辺は必読。

http://asyura.com/data001.htm

くだらない文章に目を通して頂きありがとうございました。ただ善智識を持っておられる人々に少しでも近づきたいと想い、参加させてもらっただけです。これからもいろいろ学ばさせてもらいます。それでは。

Sincerely Yours,
Daiki Tanaka

November 5, 1999


作者よりDaiki Tanakaさんへ

99年11月9日


(1)知的欲求

高校二年生の頃から老荘思想を最初のきっかけとして哲学・宗教に興味を持ち始めたのが全ての始まりでした。もうそれから取りつかれたように、自分の知的欲求に任せて本を読み漁るような生活をするようになりその度に震えるような感動を味わっていたのを思い出します・・・

アリストテレス(『形而上学』)が言うように「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」のが事実だとすると、日本の高校ほど、その人間の生来の欲求を抹殺する(知ることは面白くないと教えつける)努力をするシステムもないだろう、と考えるときがあります。

わたしが高校には入って初めての担任との個人的面接は、最初の中間テストの直後でした。そこで担任がわたしに語ったことは何であったか。入学試験のときのわたしの順位と中間テストの順位を比べて「少し下がった」とか、どの教科が弱点であるとか、これぐらいだと、だいたいどの程度の大学に入れるとか入れないとか・・・(このバカヤロー!)

知る(発見する)ということがいかに深い感動を呼び起こすものなのか。作るということがいかに深い喜びをもたらすものなのか。それさえ体験することができれば、高校は卒業です。わたしは卒業証書を確かにもらいましたが、そのときわたしは本当の卒業はしませんでした。Tanakaさんがうらやましく思われます。


(2)世界変革への意志と挫折

何で人類何千年も生きてきてこんな世界しか作れなかったんだろうって絶望みたいのを感じるのはおかしいですか?・・・なんか何もかも違う!真実を語る人の声はなんて小さいんだろうなんて一人で思っています。この人達の信条をどうやったらくづせるんだろうと自分の非力を感じるしかありません。・・・・

世界を眺めて、「どこかおかしい」と感じなかったとしたら、それこそおかしいと思います。そして、「自分の非力」を感じられるのも、その観察から、「自分が何とかせねば」というきわめて正当な心がいつのまにか生まれていたからに他なりません。古代から現代に至るまで、多くの思慮深き人々が、おなじような挫折を経験し、それと向き合い克服してきたのだと思います。わたしは、Tanakaさんがその挫折の谷間からはい上がって、自分のなすべき道を歩き始める日が来るのをとても楽しみにしています。


(3)オウムについて

オウム関係者が言っている事についてどう思われますか?・・・・

すでに、「殺せ!と神が命じるとき」でも述べていますように、オウムの殺人事件は、宗教の本質的問題に迫るものがあります。そのため、たとえば、宗教問題を抜きにして、オウムを単に犯罪集団として扱う江川紹子氏のリポートのようなものには、非常に不満を感じています。ロシア独立テレビのジャーナリストとしてチェチェン報道を担ったエレーナ・マシューク女史は「ジャーナリストは戦場に行って、自分の目で見なければなりません 」と言っています。宗教というドロドロとした危険な現場に一歩も踏み込むことなく、自らの足の汚れないガラス越しになされる江川氏の報道のようなきれいな報道にはとてもガッカリしています。

わたしは、オウムの仕掛けた犯罪は凶悪なものであり、オウムの思想はくだらないものだと思っています。しかし、ただオウム信者(オウムだけではありませんが)であるからといって、居住権を認めなかったり、信者の子供の教育権を認めない市町村のやり方など、とても認められません。すべてのオウム信者が犯罪者だというわけではないからです。ましてやその子供たちには何の罪もありません。いったい何のために警察が存在しているのか、わたしには理解できません。警察は強制的にでもその権力を行使して、違法行為を行う「住民側」から、オウム信者の居住権やその子供の教育権をまもる義務があると思います。どんなに危険な思想や宗教を信奉しているとしても、本人が犯罪を起こさないかぎり、他の日本人に許されている自由を、その人から奪うことなど許されるべきではないと思います。

しかし、オウム関連の発言の中で、もっともくだらないと思うのが、宗教家たちの発言です。このことについては言いたいことが山ほどありますが、一般論として言えば、「自分たちも一歩間違えば同じことをやっていたかも知れない」という自覚のおそるべき欠如です。わずか半世紀前に、国を挙げて日本のキリスト教徒も仏教徒もみんな人殺しの戦争に加担していたというのに。


(4)反ユダヤ的な陰謀説

キリスト教西欧人が反ユダヤ的となりうるのには深い歴史的因縁(新約聖書)がありますが、どうして(ひとにぎりの)日本人が反ユダヤ的になるのかわたしには理解できません。日本人(99%は非キリスト教徒)にはユダヤ人に対して反感を持つ理由がありません。第二次世界大戦中の日独伊同盟時代にナチス・ヒットラーの宣伝をそのまま鵜呑みにした宣伝がまだそのまま生き続けているのでしょうか。それとも、西欧文明を「キリスト教=一神教=ユダヤ教」と単純に見ているために生まれた西欧文明に対する反感の一つのあらわれなのでしょうか。それとも、ユダヤ人と直接交際することがほとんどない日本人が、他の多くの西欧文明を無批判的に受け入れたように、キリスト教西欧人の宣伝もそのまま信じてしまったでしょうか。それとも、日本におけるユダヤ人陰謀説は、宇宙人陰謀説と同次元の<トンデモ>世界に属するものなのでしょうか。いずれにしても、ユダヤ人陰謀説は根拠のない妄想にすぎないと思います。

おたよりありがとうございました。


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