はじめまして 面白くホームページを拝見させてもらっています。全部は読んではいませんがけっこう面白いですおせいじを言う訳ではありませんが、佐倉さんは、そうとう頭がいいですねキレルというかスルドイというか言葉が見つかりません、かなり勉強そして努力しているのでしょうか、自分とは大違いな感じがします。

さて本題に移りますが自分は特別宗教をやっているわけでもありませんし、またやるつもりもありませんし神だ仏だの霊だのあの世や地獄天国そんなもの一切信じておりません、そんなもの今の時代ある分けないとおもいます昔昔の人達が人間が生きていくために知恵をつけてくれたんだと思っています。

でも昨今、オウムや統一教会、幸福の科学、その他の新興宗教などに入る人達、夢と現実の区別がつかないような人々が少なくないんだなと思います、そこで佐倉さんにお聞きしたいのですがこのような人達はなぜどうしてこうゆう所に行ってしまうのか?またなんで途中でまやかしに気ずいてもよさそうなのに気ずかないのか?どのような精神構造なのでしょうかちょっと哲学の領域に入るかもしれませんが佐倉さんのお考えを聞かせていただけませんか?お願いします。

こういう問題は、ひとことでは語りえませんが、自分自身の経験や、いままでここに投稿してくださる方からのお話しから伺えることは、いくつかあります。

(1)著しく理想主義的で、悲惨で非合理的な現実をゆるせない

(2)真実を知ることよりも、幸福感を増大することを第一とする

(3)<知ること>と<思い込み(信じること、確信すること)>を区別できない

(4)知識を軽蔑する

(5)空想を「真実」とよび、現実を「仮の世界」とよぶ、逆転の欺瞞世界が誕生する

(1)と(2)はほぼ同じこと。そしてそこから(3)が生じ、それらすべてを正当化するために、(4)が生じる。そして、最後に(5)のような逆転の世界観が生まれ、その自己欺瞞から抜け出せなくなってしまう。

霊の世界が「実在界」で肉の世界は「仮の世界」とか、霊の世界や星の世界(空想世界)の人々が地球(現実世界)に平和をもたらすためにやって来る話や、やがて地球(現実世界)が滅ぼされて、新しい世界(空想世界)がやって来るという終末論の話などは、すべて空想と現実を逆転させた世界観です。(5)

こういった世界観が生まれた背景では、この空想を正当化するために必要な知識を軽蔑する説教が必ず、繰り返し繰り返し、なされています。(4)

同様に、かれらは、<知ること>と<思い込み(信じること、確信すること)>の区別がまったくできません。(3)

もともとそこには、それが事実であるかどうかの認識的根拠はまったくなく、すべてが、そうであって欲しいという願望だけから出発しているからです。(1〜2)

精神分析の言葉で言えば、現実との折り合いをつける能力(自我)を発達させることができず、快楽原理(エス)だけに振り回されている状態といえるでしょう。人間の成長期でいえば、家庭の経済事情も知らず、自分の欲しいおもちゃを買ってもらうために、地べたに転んで手足をジタバタさせてぐずっている子どもと同じです。

こどもは、だれでも、そういう時期を通ります。通常は、やがて、現実(家庭の経済事情)を見る目とそれに対応する能力(自我)を身に付けてゆくものですが、快楽原理(エス)が消えるわけではありません。宗教は、精神分析によれば、自我の中の超自我として、快楽原理(エス)を抑圧するものと解釈されていますが、わたしは、むしろ、宗教は、自我によって抑圧されたこの快楽原理(エス)にささやきかけ、快楽原理(エス)を爆発させるもの、と解釈すべきではないかと思います。

自分の欲しいおもちゃを買ってもらうために、地べたに転んで手足をジタバタさせてぐずっている子どもと、「愛と平和だけがある世界でなきゃいやだ」と空想を信じるトンデモ信者と、殺人や戦争を正当化する世界の宗教は、みんな、同じ穴のムジナだと思います。現実世界を凝視してそれと共存する智慧よりも、何が何でも自分の快楽原理(エス)を通そうとすることにおいて同一だからです。