こんばんは。

はじめてこの「来訪者の声」を拝見させていただいたのですが、佐倉さんはじめ幸福の科学に批判的な方は、国語力がないか色眼鏡で幸福の科学の書籍を読んでいらっしゃるようです。間違った解釈で「幸福の科学の教えはこうだ」と書かれるとその内容を読んだ方は「幸福の科学の教えはこういう内容なんだ」と誤って解釈してしまいます。

幸福の科学の教えがすばらしいかどうかを簡単に判断する方法は、実った果実、つまり幸福の科学の会員さんをご覧頂ければわかります。幸福の科学の教えを実践している会員さんはこの世的に成功している方も多く、人間的にもすばらしい方が多くいらっしゃいます。幸福の科学の教えをまともに理解できない方々はそのような方法で判断されるとよろしいかと思います。



(1)誤解

佐倉さんはじめ幸福の科学に批判的な方は、国語力がないか色眼鏡で幸福の科学の書籍を読んでいらっしゃるようです。

おそらくわたしは「国語力がないか色眼鏡で」幸福の科学を読んでいるのでしょう。しかし、間違った解釈をしているところがありましたら、具体的にご指摘ください。いつでも訂正する用意があります。


(2)幸福の科学の教えがすばらしいかどうかを簡単に判断する方法

幸福の科学の教えがすばらしいかどうかを簡単に判断する方法は、実った果実、つまり幸福の科学の会員さんをご覧頂ければわかります。

まさにここに幸福の科学の教えが駄目な理由があります。

まず第一に、真理でないもの(誤謬や空想にすぎないもの)を真理であると教える教えはすばらしいとは言えません。

第二に、ある教えが「人を善人にする、幸福にする」というようなことは、その教えが真理であることを証明することにはなりません。

ある教義が人を幸福にする、有徳にする、だからそれは真理である、というほど安易に考える者はいない。…幸福や道徳は論拠とならぬ。ところが、思慮ある人々ですらも、不幸にし邪悪にすることが同様に反対証明にはならぬ、ということを忘れたがる。たとえ極度に有害危険なものであろうとも、それが真であることを妨げはしない。

(ニーチェ、『善悪の彼岸』竹山道雄訳 )

「ウソを言ったら閻魔大王に舌を抜かれる」というウソが人を正直者にし、「あなたはガンではありません」というウソが人を幸福にします。ある教えが「人を善人にする、幸福にする」というようなことは、その教えが真理であることを証明することにはなりません。

だから、「ある教義が人を幸福にする、有徳にする、だからそれは真理である、というほど安易に考える者はいない」のです。ところが、幸福の科学は、そういう「安易に考える者」を続出しているのです。だから幸福の科学の教えは駄目なのです。このお便りもそのことを明らかにしています。