宗教は、多くの人に確かなリアリティを共有させるためのサービス業なんじゃないでしょうか。大切なのは嘘か本当かよりも、信じられるかどうかなんでしょうね。教祖が責任をもってやらなければならないことは、信者に与えたリアリティを壊さないこと。そういう意味では、大川隆法など大きな宗教団体の教祖達はその責任をまっとうしていると思います。

全然うらやましくありませんが、あることを信じている人は幸せそうですよね。でも人は、何かを信じないと生きていけないものですよね。私も、人や世間を信じているからこそ犯罪を犯したりせずに済んでおります。

どんなに、人が生きるということについて崇高な意味を見い出していても、事実としては、朝食べたあんぱんのエネルギーによって自分の意識が維持されているということを考えると、人ってそんなものだなという感じがします。




宗教は、多くの人に確かなリアリティを共有させるためのサービス業なんじゃないでしょうか。大切なのは嘘か本当かよりも、信じられるかどうかなんでしょうね。教祖が責任をもってやらなければならないことは、信者に与えたリアリティを壊さないこと。そういう意味では、大川隆法など大きな宗教団体の教祖達はその責任をまっとうしていると思います。

殺人犯と世間に呼ばれても、村八分にされても、なおも信仰を貫くオウムの信者たちを見ていると、麻原彰晃さんなんかも、よく「その責任をまっとうしている」教祖の一人と言えるでしょう。