佐倉さん、さようなら

5月29日の私のメール「太い注射をうちましたので、元気になってくださいね。」に対する返答がないという事実から、佐倉さんはついにギブアップしたようです。まあ佐倉さんがご自分のHPでどのように「佐倉流縁起説と真理論」で情報操作(唯物的新興宗教の宣伝)をしようと、それは佐倉さんの自由(勝手)です。しかし神理の番人としては、この結末は広く本当の真理を求める人たちには知らせる義務と使命があります。佐倉さんのHPでの私の役割も、ほぼ終了しかけていたところですので、ちょうどよい機会です。この私の隠された返答に付きましては、その経緯とともに私のHPでありのままに発信することにしました。タイトルは「佐倉ワールドに見る、唯物的信仰(仮称)」のようにする予定です。ご期待ください。

でも99年6月14日の佐倉さんの内容では、

釈迦はまさにことのことを否定しました。人がバラモンであるかどうかは「生まれによるのではなく、行為による」と主張しました。
と引用しており、「行為を見ると、その人の思想が分かる」という当たり前のことがようやく理解できたのかもしれませんので、最後に佐倉さんへの私の簡単なアドバイスをプレゼントさせてもらいます。それは「知識は行為(実践)によって智慧となる」ということです。

佐倉さんの、今後のより本質的ご活躍を心より祈念いたします。

では、佐倉さん、さようなら。

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        神理の番人
   aae70660@pop21.odn.ne.jp
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(1)ホームページ

前回のメールは、本サイトの方針にふさわしくない内容が含まれており、掲載しようかどうしようかいまだに迷っているのですが、番人さんご自身のホームページに載せてもらえるなら、それが一番理想的だと思います。わたしは、本サイトの方針を変えるつもりはありませんし、また、ご自身のホームページなら番人さんも、わたしの方針とは無関係に、ご自由にご自分の意見を発表できます。

番人さんのような人々のために、わたしは「反論サイト」のコーナーを設けています。(現在では、キリスト教関連の反論サイトだけですが・・・)ホームページができましたら、連絡ください。リンクさせて頂きます。


(2)行為によってバラモン

99年6月14日の佐倉さんの内容では、
釈迦はまさにことのことを否定しました。人がバラモンであるかどうかは「生まれによるのではなく、行為による」と主張しました。
と引用しており、「行為を見ると、その人の思想が分かる」という当たり前のことがようやく理解できたのかもしれません・・・
二つの異なった問題を混同をされています。

釈迦はここで「行為を見ると、その人の思想が分かる」などと言っているのではありません。これは、ヴァーセッタとバーラドヴァージャという二人の若者の間に起きた「どのようにしたらバラモンになれるのか」という議論に関して、釈迦がその意見を述べたものです。すなわち、バーラドヴァージャは、人はバラモン階級の家庭に生まれることによってバラモンになる、と主張したのに対して、ヴァーセッタは、戒律を守り、徳行を身に付けることによって、バラモンになる、と主張し、お互いに譲らないために、かれらは釈迦にこの問題を尋ねたのです。釈迦は沢山の例をあげながら、人がバラモンになるのは、「生まれによるのではなく、行為による」と言いました。つまり、ここで釈迦は、「行為を見ると、その人の思想が分かる」、などという話をしているのではないのです。