旅に出て
自分よりすぐれた者
自分に等しいものと
出会わなかったら
一人で道を行け
真実を知らない愚者を
道連れとするな
釈迦を知ろうとするならば、彼の生きたように 生きるべきだ。 知りたい得たい真実は必ずそこにあるはずです。 遠く旅にでて、自分の体で匂い、聞き、話し、体験 するべきです。

聞いただけでは 仏法を体得することはできない 仏の道は実践するものである。 山海の珍味を目の前にしながらも 食べなければ餓死するように 仏法を聞くだけで実践しない者も 同様である


大変結構なお説教ありがとうございます。日本人の大好きな説教です。しかし、これにはもう一つの側面が補われなければ、仏教としては不十分です。他の宗教と違って、仏教では、ただ信じて馬鹿みたいに盲目的に実践していればよいものでもないからです。真理を見極めることのない「実践」は、行く先を見極めないで電車に飛び乗るようなもの、知識のない医者に危険な手術を任せるようなもの、麻原教祖にしたがって殺人を実行するオウムの真剣な修行者と同じです。
知恵をまず第一に重んじて、善をよろこび、それらの危難に打ち勝て。

(スッタニパータ、969)

真理を見極める努力こそが、仏教における重要な実践の一つであって、「知恵をまず第一に重んじ」ること、それこそが他の宗教と大きく違う仏教の特質とも言えます。そこが抜け落ちれば仏教ではなくなります。

特に、日本では、「実践することこそが大事なんだ」といった、一見正しそうな言葉にごまかされて、真実を見極めることなく、あやしげな「実践」に盲目的に飛び込んでしまう傾向が大いに見受けられ、それが、オウムや幸福の科学やGLAやその他の偽仏教が日本で大量生産される原因となっています。それは、歴史を振り返ってみても、日本の無謀な太平洋戦争への突入にもつながるものであるとも言えるでしょう。したがって、日本に必要なのは、むしろ、真実を見極めることのない盲目的実践は、たんなるアホの無駄で危険で無意味な行為にすぎないことを、これでもかこれでもかというほど知らしめることだと思います。とくに仏教者はその仕事を果たす責任があると思います。

言葉地獄の電網界
   言捨て行者がのぞき見に来る (サクラテツ)