はじめまして、ポイラ村なるものです。 なにとぞよろしくお願いいたします。

早速ですが、ノアの洪水が盗作であるというお説に関して私の意見です。

聖書記者の時代にはこの洪水物語は世間の常識だったと思われます。つまりヤハゥエを信じる人にもそれ以外の人にもそれこそ当時の世界の常識ということだったと思うのです。ギルガメシュ物語をとっても、おそらくそれより先行する洪水伝説がメソポタミヤあたりを源にしてあったと考えるのが妥当でしょう。それがある人には「ギルガメシュ物語」として伝わり、またノアの物語として伝わったのでしょう。

ですから、聖書記者は盗作などという意図はなくて当時の伝説に対してヤハゥエの意思がどこにあったのかという事を信仰によって書き上げたに過ぎないと思います。例えば、信仰者は現代の社会問題に関しても神様の意志はどこにあるのかっていう観点でいろいろ考え、またそれを述べるわけで、それと同じことを聖書記者もしていたと思うのです。

ですから、洪水の記事でも聖書の中で書き手によって各資料でその捉え方が違ってきていますね。J資料の洪水の捉え方は大変おおらかでヤハゥエはみずから「人を造った事を悔い」「心に悲しみ」「ノアの船の戸を閉め」「犠牲の匂いをかぐ」極めて人間臭いヤハゥエなのです。一方P資料の神は極めて几帳面で年齢・日時・寸法などがきっちり述べられています。厳格な神を想像させますね。

こんなふうに聖書の中に取り上げられた神様(ヤハゥエと神)でもこれだけ違っているのです。それほど宗教・信仰というものは多様なものなのです。(それが、船に乗った動物の数にも反映しているわけですが・・・それは別メールにします)

こういった事を簡単に人の創作と断言しても良いとは思いますが、そこには信仰によって書かれたという事実がある事を見過ごしてはいけない と思います。そして、信仰はやはり神様の霊感と密な関係があり、そういう意味ではやはり神様の霊感が働いていると言えます。 大切な事は信仰によって書かれたものは信仰によって読むという事なのです。

矛盾や誤り理解不能な事がたくさんあっても聖書は神様の言葉なのです。


(1)ノアの物語の起源

もちろん、おっしゃられるとおり、ノアの物語の原型がギルガメッシュ叙事詩だったのではなく、ノアの物語もギルガメッシュ叙事詩もともにその起源を共通とする、ひとつの原洪水物語があった、という可能性もないとはいいきれません。しかし、それはほとんど不可能な解釈です。なぜなら、旧約聖書の物語はたかだか西暦前800年頃から160年頃の間に書かれたものに過ぎないのに比べて、ギルガメッシュ叙事詩は西暦前2000年以上もさかのぼるシュメール文明の数多くの文学的遺産の一つだからです。つまり、現代のわれわれと旧約聖書の時代との間にある時間的距離に相当する期間が、旧約聖書の時代とシュメール文明の間にはあるのです。

しかも、シュメール文明崩壊後も、メソポタミアを支配した数々の文明はそれぞれ、シュメール文明が生んだ高度な文学を「古典」として継承していったのです。それは、現在の西欧文明が、いまでも、ギリシャ・ローマの文化を古典的遺産として継承しているのと同じようなものだったと考えられています。

楔形文字で記されたシュメールの文学作品は、初期王朝から記録されているけれども、大多数はイシン・ラルサ王朝時代以降に粘土板に書かれたのである。いっけん奇妙に思えるかもしれないが、シュメール人が政治的勢力を失い、さらにシュメール人自身が消え去る時期に、シュメール文学が多く記録されたのである。もっとも、文学作品の創作はさらに古い時期に遡るのであるが。たとえば、エンキ神の神話や「シュルパクの教訓」などの文学作品が初期王朝時代から連綿と伝承されていることは確証されているのである。

シュメール語の叙事詩、神話、讃歌、哀歌、そのほか教訓詩、諺、なぞなぞにいたる文学作品がバビロニア人によって書き続けられた。本来シュメールのものである『ギルガメッシュ叙事詩』がアッカド語に翻訳されたり、シュメール語で書き続けられるイナンナ神の神話が一方でアッカド語に翻訳されたり、シュメール語にアッカド語訳を付した対訳テキストを作成したりしている。これらのことから、バビロニア人にとってシュメール文学が手本であったばかりでなく、バビロニア人はシュメール人の精神生活に共感を覚え、シュメールの作品を「古典」とみなしていたのであろう。いわば、ヨーロッパにおけるギリシャ・ローマと同等の地位を、シュメールはバビロニアにおいて占めていたのであろう・・・。

(屋形禎亮『古代オリエント』有斐閣新書、42〜43頁)

聖書がイスラエル人の太祖であるアブラハムの家族がシュメール文化継承の中心地の一つであったウルの出身であることを記しているのはよく知られた事実です(創世記 11:31)。このことについて、犬養道子氏は次のように述べています。
彼[アブラハム]が祖先代々住んでいた「彼の土地」は、人類の「歴史はそこに始まる」とわれわれの時代の学者たちを感嘆させる文化の地、つまりペルシャ湾にそそぐユーフラテス河に沿って、ただに経済的に栄えたのみならず人類最初の文字を創造し最初の図書館すらもととのえていたいわゆるスメール(シュメール)の一地方、「カルデアのウル」であった。

(犬養道子『聖書のことば』新潮社、20頁)

旧約聖書の記者たち(アブラハムの子孫)がシュメール人の古典文学の影響下になかった、と考えることはきわめて困難だと思います。


(2)信仰の書としての聖書

こういった事を簡単に人の創作と断言しても良いとは思いますが、そこには信仰によって書かれたという事実がある事を見過ごしてはいけない と思います。そして、信仰はやはり神様の霊感と密な関係があり、そういう意味ではやはり神様の霊感が働いていると言えます。 大切な事は信仰によって書かれたものは信仰によって読むという事なのです。矛盾や誤り理解不能な事がたくさんあっても聖書は神様の言葉なのです。
聖書がそれを書いた人々の信仰の書であることはわたし自身の主張でもあります(たとえば、「聖書は神からのぶあついラブレターではない」 )。つまり、聖書は、神自身が人間を通じて真理を書かせたものではなく、それを書いた人々がそれぞれ勝手にこころに描いていた神や歴史に関する思いこみが書かれているにすぎないわけです。それだからこそ、おしゃられるとおり、聖書の記述には矛盾や誤謬が沢山あるわけです。

もし、聖書が、神自身が人間を通じて真理を書かせたものであるならば、聖書の記述には矛盾や誤謬があるわけがありません。神は、その定義によれば、全知全能だからです。

それにもかかわらず、

矛盾や誤り理解不能な事がたくさんあっても聖書は神様の言葉なのです
と言われるからには、「聖書は神様の言葉」という主張が、わたしの言うような意味(「神自身が人間を通じて真理を書かせたもの」)とは、異なる意味でなされているからでしょう。お便りからだけでは、その意味がよく理解できません。
信仰はやはり神様の霊感と密な関係があり、そういう意味ではやはり神様の霊感が働いていると言えます。
というところに、何か、理解のための手がかりがありそうですが、残念ながら、信仰と神の霊感との間に存在するとされている「密な関係」とは、どういう関係なのか、その説明がありません。

もし、信仰によって書かれたものは神の言葉である、ということが真実なら、たとえば、遠藤周作氏の文学作品なんかも神の言葉になります。宮沢賢治の童話なども明らかに信仰によって書かれていますから、それらも神の言葉であるということになるでしょう。宮沢賢治はクリスチャンではないから彼の作品は神の言葉とは言えないのでしょうか。遠藤周作氏はカトリックですから氏の作品は神の言葉とは言えないのでしょうか。それとも、聖書だけが神の言葉であり、遠藤氏の作品も宮沢賢治の作品も神の言葉ではないとしたら、そこにはどんな根拠があるのでしょうか。

その根拠が明確にされなければ、聖書は信仰によって書かれたから神の言葉である、という主張には説得力がまったくないと言わねばなりません。