はじめまして、京都市に住む有本と申します。ご貴殿の「聖書の間違い」を大変興味深く読ましていただきました。実は「イエスはどんな人」と言うWeb(http://www.venus.dti.ne.jp/‾piko/crhp/cr_hp.html)を作っていまして日夜聖書を読み返しているのですが、ご貴殿が指摘するとおり、4つの福音書(トマス言行録を資料とすると5つになる)は「食い違い」(僕はそう表現している)だらけで、平気な顔をして「聖書は神の霊感で書かれて間違えが無い」と言う人の神経はかなり疑わなければならないでしょう...

それと聖書は「イエスの弟子達によって書かれた」と言う文言もかなり無意味な言葉の様に思います。クリスチャン達がいまだにこれらの文言にマインドコントロールされている事が不思議でなりません。聖書はそれこそ人類の宝の様な書物だと思うのですが残念ながらそれを主に扱っているクリスチャン教会からは学ぶ物が少ない様に考えています。

取り留めの無い話で申し訳ありません、とりあえずこれにて失礼

有本康夫


外から見れば、なぜ、「平気な顔をして」、聖書は神の霊感で書かれて間違えが無い、などと信じられ得るのか「不思議でなりません」が、信じているものの立場から見れば、とても真剣で、それ以外は考えられないような感覚を抱いていると思います。わたし自身の個人的な経験でもそうですが、オウム真理教の信者の証言などを見ても、やはり、自分の救いということを真実を知る努力よりも優先していることが、そのもっとも重要な要因となっているのではないかと思われます。だから、知的能力においてはいかなる意味でも劣っているわけではないにもかかわらず、信仰(教祖や聖書の権威への盲目的依存)という行為が、疑う(真実を見極める自らの努力)という行為よりも、圧倒的に価値あるものとして、おどろくべき安易さで、その心に受け入れられているのだろうと思います。

なお、「イエスはどんな人」を興味深く読ませていただきました。他の多くの聖書研究のサイトと違って、単なる受け売りではなく、有本さんご自身の聖書研究、という感じがあって、とても好感を持ちました。とくに「あとがき」が好きです。わたしの「キリスト教・聖書関連のサイト」欄(「聖書の間違い」)にリンクをつけさせていただきました。