二つの記録の差は矛盾の内に入らないのではありませんか。 戦死者の記録など2桁の違いも珍しくありません。 むしろ1つの事件を、矛盾があっても、伝えるままに載せているのは フェアな態度だと思いますが如何。


(1)聖書の伝承は「伝えるままに載せて」はいない

発見されるさまざまな聖書の写本や翻訳を見ればあきらかなように、聖書の伝承者たちは、それを「伝えるままに載せて」はいません。あるときは矛盾を隠蔽しようとしたり、あるときは、おそらく不注意のために、誤植をしたり、またあるときにはもとにはなかった新しい物語や解釈を加えたりしています。

(2)「聖書はすべて正しい」、という主張は間違っていることになる

一つの事件について、矛盾した記録があれば、少なくともその記録の一つは必ず間違っていることになります。そうすると、聖書には少なくとも一つの間違いが存在する、という必然的な結論になりますから、「聖書はすべて正しい」、という主張は間違っていることになるわけです。

つまり、聖書は、人間の書く他の書物と同じように、それを書いたり伝承した人々の意図がそこに反映しており、したがってさまざまな矛盾や誤謬が含まれており、ある一部の信者たちが信じているように、神や聖霊の加護によってその内容の真実性が保たれている、というようなものではないことがわかります。