イエス様は神様であったか?

ほかの教会では三位一体をだいたいにおいて述べています。佐倉さんの指摘さ れたように、それでは話が食い違うところが聖書の中でたくさん見つけることが できます。

ところが天父と御子と聖霊のお三方が別々のお方であれば、その問題は解決す ると思います。確かに天父と御子と聖霊は一つであると聖句の中にありまっす が、目的と働きにおいてひとつと考えれば問題ないと思います。弟子たちに対し て、「なんじらひとつとなれ、ひとつとならずば我がものにあらず。」と言われ たように、ひとつとは、必ずしも一体をさしているのではないと思います。 地球を創造されたとき、天父は御子イエスをお使いになり、その時はエホバと 呼ばれていました。そう考えれば、「我らくだりゆかん、かしこに空間あればな り。」の我らの意味も少し理解できると思います。(少し意味がちがうのです が。)


悪魔について

天父と呼ぶ意味は、何処にあるのでしょうか。主は文字どうり私たちの霊の父 です。私たちは、生まれる前に天父の霊の子として生きていました。それはあな た方の天の父と、イエス様が何度も繰り返し言われた言葉から理解できます。そ の時悪魔になった霊もともにいました。天父が私たちが天父のようになる道を示 されました。悪魔になった霊が出て来て、「私は強制して、すべての人を救お う、栄光のすべてを私に。」と提案しました。もうひとかた長子であるお方は、 「御心が行われ、栄光がすべて天父の上にありますように。」と提案されまし た。そこで戦いがおこり三分の一の霊が悪魔につき天から放逐され悪霊となりま した。長子であるお方は人が罪のあるまま神の御元に帰ることができないことを 知っておられたので自ら贖い主、仲保者として立たれ。すべての人類の悔い改め た罪の重荷を背負われました。

モルモン書はお読みになっておられますか。私の好きな聖句は第二ニーファイ2 章9章31章から33章ヤコブ4章エノス書モーサヤ2章から5章アルマ1章4 章5章30章から42章第3ニーファイ11章から30章モルモン書8章9章エ テル12章モロナイ7章から10章です。来年は教会の教育プログラムであるイ ンスチュートでモルモン書を学びます。登録は無料で615ページのテキストに よって学んでゆきます。教会員の姉妹に尋ねてみてください。また興味がありま したら、この教会とほかの教会の違いを表にしたものを持っていますが。興味が ありましたら連絡ください。


(1)神以外の霊的存在による説明

アリストテレスの「第一原因」やユダヤ教・キリスト教の「創造神」などの存在に関しては、それなりにかなり説得力のある論理も展開できると思いますが、それ以外の「み使い」やらの霊的存在については、わたしにとっては単に認識不可能な対象であるだけでなく、論理的な必要性も、実存的必要性も、倫理的な必要性もわたしには感じられないので、わたし個人としては、今のところ「古代の神話」として済ませています。

なんでもそうだと思いますが、神学的問題を解決するためにも、より信じられるものによって説明することが必要ですが、「み使い」のような霊的存在はわたしがもっとも信じていないものですから、たとえば悪の存在の説明について「悪なるみ使い」の存在を持ち出しても、わたしにとっては解決にならないのです。同じように、三位一体の問題を「三つの独立した霊的存在」としても、確かに論理的奇妙さは消えますが、わたしには、もっと信じられないように思われます。


(2)キリスト教的「前世」

私たちは、生まれる前に天父の霊の子として生きていました。
わたしはなにも覚えていません。


(3)モルモン書

少しずつ読んでいます。物語はそれなりに面白いものですが、アメリカ大陸にモルモン書がいうような文字をもった高度な文明が数千年前にあった、という歴史観にはとてもついてゆけそうもありません。