Uchidaさんは「神の声、悪魔」の中で、「悪魔は神を語って人間を惑わす張本人で す」、「・・・悪魔が悪霊をもちいて行なっていることです。悪魔を軽んじてはいけ ませんよ。 」、「悪魔は・・・神様を真似ることは容易いことなのです。」と述べ ています。それにも関わらず、私にはUchidaさんが、自分の神が悪魔からのものなの か、本当の神であるのか、充分な吟味をしているようには思えないのです。Uchidaさ んはいったいどのような根拠をもって「自分の心に語りかけるものは悪魔ではなく神 である」と言っているのでしょうか。

「私の守護霊である謝ビンランという2千年前の人が私のからだに降りてきました。 」、「謝ビンラン氏は霊ですが、わたしの体を使って、妻の前で真空拳の踊りを舞い ・・・」、「わたしはわたしの体内に霊を呼ぶことができる・・・」

これに対して聖書では

口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行 う者をすべて、主(ヤーヴェ)はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あ なたの神、主(ヤーヴェ)は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。(申命記18 ・9-12 )
と記述されているので、Uchidaさんの神は聖書の神ではないことは明らか です。

Uchidaさんはさらに

「私の取り柄といえば、真空気功術という気功を独自に体得していることです。 気 功といっても特に先生がいるわけではなく、神から直接指導を受けているといったら よいでしょうか。 」、「私が感じる心霊の世界」、「私は修行の身ではありますが 、エクソシスト(悪魔払い師)の力を持っています。 」、「(謝ビンラン氏が降り てきたことによって)霊的なことがだんだん分かるようになったのです。人のからだ に獲り付いているさまざまな悪霊を供養する力を与えられました。」「神様と何を語 り合うのかということですが・・・日常生活においてどうすべきか判断するとき、心 のなかで尋ねます。そうすると、右手が動いて○や×を描くのです。」
というように不思議な能力を持っていることを述べています。これらの能力が神か らのものなのか、悪霊(悪魔)からのものなのか、とても疑問です。このような怪し げな能力の例として聖書では
私たちは祈りの場所に行く途中、占いの霊に取り憑かれている若い女奴隷に出会 った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。(使徒16・16)

この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ 、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、この人 こそ、偉大なものといわれる神の力だと言って注目していた。(使徒8・9-11)

と書かれています。もちろんこのような占いや魔術の能力は(聖書の)神から出た ことではありません。

またイスラエルの最初の王であったサウルは、自ら「国内から口寄せや魔術師を追 放していた 」にもかかわらず、神に不従順であった結果として、降霊術で死者の霊 を求めています。(サムエル記上28章)

一応、言っておきますが、私はUchidaさんの不思議な能力について、否定も肯定も するつもりはありません。ただUchidaさんの神が本当に神といえるのかどうか強く疑 問に思っているだけです。

愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい 。(第一ヨハネ4・1)