初めて読んで、また、全てを読み終えていないので、失礼とは思いましたが、 メールします。
私はクリスチャンです。しかし、きっと聖書は佐倉さんほど読んでいないでし ょう。頭が下がる思いです。
ところで、しきりに聖書の語る年代と日本の縄文記の年代の相違を論証されて いますが、この部分をもしよろしかったら、もう少し掘り下げて研究して発表し ていただけないでしょうか?
つまり。創造論と進化論の相違を研究、発表していただけたらうれしいので す。聖書をファンダメンタルに受け入れているクリスチャンは創造論を前提とし て、歴史を見ています。日本で教育を受けた我々にとっては進化論が絶対でした から、地層別年代測定や、炭素14(??)による年代測定が絶対というように学ば されています。これはNHKの番組までその前提で作られていますから、考えよう によっては困ったものです。進化論も、創造論も現在の事象を元に理論ずけられ た体系に過ぎないのですが、日本では進化論信仰が根付いていて、一部ファンダ メンタルなクリスチャンの中でもこの部分は聖域化さえているのではと思うほど です。しかし、タイムマシンでもなければ確定は難しいほどの問題です。きちん と研究さえしない今の状態は正しいのか、少し疑問に思うのです。
私はクリスチャンでない友人や従兄弟たちに話したことがあります。「日本で は教えていないが、進化論と創造論はそれぞれ理論であって事実が確認されてい るわけではない。現在残された証拠により論争されるべき問題である。しかし、 日本では進化論が信仰化しているのはおかしい。多くの証拠、証言(聖書(I:ぢ古文 書(I:ぢ碑文等)をお互いに検証し理論だてて論争もしないで、科学者が進化論を信 仰している状態はおかしいのではと。生物学者さえ、その疑問を抱かないのだか ら不思議な国日本なのである。」(牧師の中にだって進化論信仰者いますから ね。)
佐倉さんに反論してくる方々の多くは創造論にのっとって聖書を見ていますか ら、ノアの洪水によって地層が形成されたと考えており、人間の歴史が1万年以 上の歴史を持つことはないと結論付けていると思います。しかし、進化論はそれ を否定しています。 この部分を研究せずにお互いに論じていても、むなしい論争になるのではない だろうかと、思わされました。
私は信仰により創造論が正しいと思っています。しかし、理論的には自ら研究 できるような状況ではありませんし、才能もありません。ぜひ、佐倉さんのよう な方が真っ白な状態でこの課題を研究していただけるなら、ぜひ、お願いしたい ものです。
ホームページの前半を読ませていただいて、メールしました。近いうちにま た、後半を読ませていただこうと思います。
縄文時代史と聖書の年代が矛盾しているということは、「天地創造物語の矛盾(三)」と「縄文人はノアの子孫か?」に述べていますが、そのどちらも「創造か進化か」という問題とは関係ありません。人間が神によって造られたと仮定しても、進化によって出現するようになったと仮定しても、聖書の年代の記述をそのまま歴史的事実だとすると、わたしたちの知っている縄文時代史の数々の事実と矛盾します。そして、わたしたちが現在持っている方法以上の信頼できる方法によってわたしたちの縄文時代の年代に関する理解が根本的に間違っていたという研究報告がでてこないかぎり、聖書はこの部分において間違っていると断定せざるを得ません。
すべての科学技術による結論がそうであるように、絶対に正しいということはもちろん言えません。たとえば、ご指摘のあった炭素14の半減期を利用した年代決定も、さまざまな限界があり、測定ミスもあります。しかしまた、すべての科学技術がそうであるように、炭素14による技術もさまざまな改良がなされて、それによって生み出されるデータは、1970年代のころのデータよりはるかに信頼できるようになっています。たとえば、加速器質量分析の使用が可能となって以来、小さなサンプルでも非常に精度の高い結果を生むことができるようなったし、また、七千年以上も前にさかのぼる樹木の年輪の研究によって、時代ごとに少しずつ変化する大気中の炭素14の割合が導き出されたため、理論値からより実際値に近い値をだすための計算方法も発見されています。
そして、このようなデータが増えるたびに、異なった方法(現代世界で使われている年代決定のための科学的方法は他にも、カリウム・アルゴン法、フィッション・トラック法、熱ルミネッサンス法など、多数あります。)によるデータとの相互比較によって、その信頼度は増しているのが現実です。
縄文時代の年代については、これらの科学的な方法が発見されるより前から、縄文土器の偏年が山内清男氏らを中心に進められていました。それは、土器様式の変化や分布また発見された遺跡の層の上下関係などから、土器の先後関係を決定する方法です。つまり、土器の相対的年代の決定がなされていました。縄文時代が「早期・前期・中期・後期・晩期」などと分けられ、また地方別にも50ぐらいの時期に細分化されているのは、多くは山内氏らの偏年研究の結果によっています。はじめて炭素14を利用した縄文土器の絶対的年代の結果が発表されたとき、山内氏が強く反論されたことは、いまでは有名な話になっていますが、
その後、放射性同位元素C14による年代測定はつぎつぎと実施され、古いものから新しいものまで、土器偏年とうまくつじつまが合って、並ぶことが確認された。(水野祐監修『逆説の日本古代史』p.29)と言われるように、山内氏らによる膨大な努力によって得られた土器偏年による土器の先後関係が、とくに、縄文前期以後の場合は、自然科学的分析の方法で得られた結果とうまくつじつまがあうために、二つのまったく異なった方法が相互的に信頼度を高める結果になっています。
また、土器偏年の決定の方法には、コンピュータを使って、土器様式の流行と分布から、年代の先後を決定する新しい方法などもあるし、樹木の年輪を利用した年代決定も非常におもしろいものですが、また機会がありましたらご紹介します。年代決定の科学技術には興味が尽きません。(インターネットにはこれらに関する情報が大変豊富ですから、"carbon dating" とか "dendrochronology" とか "tree ring" などでサーチされることをお勧めします。)
わたしは、たまたま考古学に興味を持っているため、現代使用されている科学的年代決定の技術に関しては、そのいくつかの基本的な原理、問題点、問題点を克服するために現代取られている処置などに関して、わたしなりに少し勉強しています。たしかに自然科学的分析の方法で得られた結果を絶対と信じるわけにはいきませんが、それは根拠のないデタラメでもありません。とくに、異なった複数の方法によってその結果に一致が見られるとき、確率的信頼度が高いと判断するのは合理的な姿勢だと思います。したがって、「タイムマシンでもなければ確定は難しい」とか「きちんと研究さえしない今の状態」といったご意見は、この技術の現実に基づいた合理的なご意見とは思われません。わたしの知る限り、現在の縄文時代の年代に根本的に大きな変革を求めるような方法もデータも全く存在しないだけでなく、これらの年代を決定したさまざまな技術はいろいろ改良され、その信頼度が高くなっているのが現実です。
もし、本当に、炭素14やその他の年代決定のための科学技術が信頼できないと思われるなら、より信頼できる方法を提示し、どれほどの誤差があるのか具体的な数字を示さねばなりません。そのとき、科学者たちや技術者たちは、よろこんで新しい方法に飛びつくでしょう。信仰がすでに信じているドグマに固執するのにくらべて、科学は知ることをもとめるからです。