佐倉さん、初めまして。高木 茂です。「聖書の間違い」ならびに「殺せ! と神が命じるとき」を読ませていただきました。

 佐倉さんは、聖書を盲信すると、オウムのような問題行動を起こす、とお考 えのようですね。ところが、問題行動を起こしているオウムや統一教会は、決 して、聖書を盲信してはいません。むしろ、佐倉さんのように、それが真か偽 か吟味しています。

 オウム真理教の教祖、麻原彰晃は『キリスト宣言』(オウム出版)という著 書で、次のように、主張しています。聖書は大切な書物だが、全て信用できる わけではない。なぜなら、四福音書を書いたイエスの弟子達は、みなグル(尊 師という意味ではありません ^_^)になってイエスを裏切った者達だから。同 じ様な内容の福音書が四つもあるのは、昔の人々も元裏切り者である福音書記 者を信用できず、四つの福音書を照らし合わせて、そこから事実を読み取る必 要を感じたからだ。  そして、聖書の記述は必ずしも信用できないから、と自分勝手な解釈を付け 加え、ついには、麻原が自分自身を「キリストである」と論証(?)したのが 、この本です。

 統一教会の聖典、原理講論は繰り返し、マタイ福音書16章28節の

 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共  に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。
を引用し、このイエスの言葉が成就しなかったことを指摘しています。これは 佐倉さんと同じやり方です。そして、イエスはここで弟子達を激励するために 、敢えて、嘘をついたのだと主張しています。さらに、多くの自分勝手な解釈 を付け加え、ついには、文鮮明を「キリストである」と論証(?)しています 。

 佐倉さんのやり方は、必ずしも、オウムや統一教会のような問題行動を避け ることにはなりません。むしろ、オウムや統一教会のような問題行動を引き起 こすことに、つながる場合もあります。

「聖書を盲信すると、オウムのような問題行動を起こす」という主張は、高木さんが例にあげて示されたように、間違っています。しかし、わたしが問題としているのは、人間の言葉にすぎないものを神の言葉と信じることなのです。オウムや統一教会の問題は、彼らが彼らの教祖の言葉を絶対的真理あるいは神の言葉として絶対化したところにあると言えるでしょう。もし、そのような行為が問題なら、聖書を書いた記者たちの言葉を神の言葉として絶対化することも、同様に、問題とせねばなりません。もし、わたしが、聖書を書いた人間の言葉をすべて神の言葉として信じているなら、わたしは、オウムや統一教会の信者が、彼らの教祖の言葉を神の言葉として信じる行為を批判することはできません。

しかも、オウムや統一教会のおこした問題は、キリスト教がおこした数々の歴史上の大問題(十字軍戦争、異端狩り、魔女狩り、宗教戦争、世界植民地化)にくらべれば、実に、たわいのないものです。