今日は、いくつか、気付いたことを指摘させていただきます。

「ノアの洪水物語は、盗作である」について。
旧約聖書のノアの洪水物語が、メソポタミアの古代文書と一致しているという事 実は、必ずしも「聖書の間違い」を論拠づけるとは言えないのではないでしょう か。むしろ、聖書の記述が、事実と無関係に考え出された創作ではなく、他のメ ソポタミアの文学と同様、かつて実際に起こったある事実に基づくものであると いう主張を論拠づけるものとして解釈することも可能だと思います。 私がかつて属していたファンダメンタリズムの教派(カルヴィニズムの系統)で は、機械的霊感説と、有機的霊感説とを区別しており、後者の方を採用していま した。

つまり、聖書記者たちは神の霊感の下に聖書を記したにせよ、彼らが全く聖霊の 機械や道具と化して、自分の意志や知性と無関係に、あたかも恍惚状態の中に聖 書を記述したわけではなく、他の文書を参照したり、それらを編集したり、彼ら が自分自身の知性や意志などの人間的な諸能力を働かせつつ聖書を記述した可能 性を排除していません。その人間的作業の中に、神の聖霊が働いて、彼らの仕事 が、誤りなき神の言葉として完成したものになるように導いたと理解しているよ うです。

また、「聖書の間違い」の検証を、